Blog「やらずの善てなんだい?」
2020.03.17
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「あたかも一万年も生きるかのように行動するな
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」
(マルクス・アウレーリウス『自省録』)
ローマ帝国の皇帝、マルクス・アウレーリウス(121−180)は
豊かな国力を背景に平穏な時代が約2世紀続いたローマ帝国の最盛期に
39歳で皇帝の座に着きます。
安定した平和な時代、いつまでも続くと誰もが信じていたことでしょう
しかし、マルクス・アウレーリウス帝の時代になると、様子が一変し
冷害や帝国周辺での争い、疫病などが相次ぎ、皇帝自身も戦地へと赴きます
平和な時代の直後、激動の時代に
自分自身と向き合うために書かれた「自省録」その一文です
2020年に入り、突如世界中を巻き込む脅威となった新型コロナウイルス
思うようにならないことも多く、得体の知れない敵に対して様々な憶測が飛び交う現在
終わりの見えない心配と歯痒さから、不安になり焦り
確証のない情報に流され起こる問題も連日ニュースで放送されています。(トイレットペーパーが底をつきそうなんですけど!)
一刻も早い解決、回復を祈るばかりですが
こんな時だからこそ、この言葉を今日は選びました
マルクス・アウレーリウス皇帝は
大きな宇宙の営みのなかで、人間の限られた力を受け入れつつ
その力を発揮することが「善いこと」だと考えていました
人間は微小な存在であることを認めながらも
その力には最大限の信頼をおく
それが激動の時代を生きた皇帝の視点から生み出された考えでした
自分のことだけを考える貧しい心ではなく(転売ヤーなんかもちろんもってのほかだね!)
誰もが大変な時に助け合う心を持って協力し合う
ごく当たり前なことかもしれないですが、そうやって手を取り合うことを
何世紀もの時代を越えて届けてくれているんですね
あと、「やらずの善よりやる偽善」という言葉を最近耳にしました
著名人の方など表立って募金活動などされている方に対して
売名行為だとか偽善だとかいう方がいてのこの言葉ですが
正直あまりいい言葉とは思っていません
動いた人は偽善と呼ばれ、なんもしない人は善ですか?ん?よく分からんね
そもそもどう捉えようと、その活動の先に助けを待っている方がいるわけで
それは偽善ではないでしょ、善でしょ、と
どんなに言っても皮肉をいう人はいるけれど
言いたい人には言わせておけばいい、自分にできることをするだけだ、そう思います
「あたかも一万年も生きるかのように行動するな
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」
(マルクス・アウレーリウス『自省録』)
この言葉とともに時代を進んでいきたいと、つくづく思い知らされた今日この頃でした
ではでは