2016.08.25
エアジャム裏方秘話 ~三吉ツカサ編~
- INTERVIEW
これまで数々の名演を繰り広げ、後身のバンドに大きな影響を与えてきた日本最大のパンクフェスAIR JAM。97年の初開催から20年近くが経過しているが、今なおフレッシュな記憶を我々の脳裏に残している。それには、現場で味わった興奮はもちろんのこと、数々のメディアで目にしたライブ写真も一役買っていることを忘れてはいけない。 今回は、2度目の開催となったAIR JAM ‘98からカメラマンとして参加している三吉ツカサに過去のAIR JAMを振り返ってもらった。AIR JAM 2000における空撮の裏側など、PIZZA OF DEATHのスタッフとして関わっていたことのある筆者でも知らなかったようなエピソードが飛び出した。
TEXT:阿刀 “DA” 大志
── この夏、ツカサの仕事はどんな感じなの?
ハイエイタスのツアーとブラフのフェス周りとケツメイシの日産スタジアム。ケツメイシは(渋谷)クアトロの初ワンマンの時から撮ってて。
── それって人気が出るずっと前だよね?それが今や日産スタジアムだもんね。
そうそう。
── そういう大きい会場でライブを撮るきっかけになったのってAIR JAM ‘98?
うん。97年のAIR JAMはちょうどメキシコに行ってた時期で撮れなくて。
── 当時、あんな大きな会場で撮れって言われてもイメージなんて全然沸かなかったでしょう?
うん。まず「昼に撮るってなんだよ」って(笑)。
── 野外フェスっていう概念も当時はあまりピンとこなかったもんね。そんな98年のAIR JAMで何か覚えてることってある?
「思ってたよりもステージ大きくないな」とか(笑)。あとは、一日中ライブ撮って面白かった。ハイスタのライブはステージの後ろからよじ登って撮ったんだけど、登って良いか悪いかの確認なんてしたら「ダメ!」って言われそうだったから勝手にやって(笑)。
── そんなところから撮ろうと思ったのはなんで?
ステージ袖からライブを観てて、「お客さんが盛り上がってるところとステージが一緒に入ったらいいなぁ。だったら、あそこに登って撮ったらきれいに撮れるなぁ」と思って。
──じゃあ、派手な写真が撮りたいっていうわけじゃなかったんだ。
単純に一枚絵の広い景色が撮りたかった。でも、当時はワイドレンズなんて持ってなかったから、距離を稼げるのが唯一あそこだったっていう感じ。あの写真はハイスタのメンバーも喜んでくれたし、それで気を良くしちゃって(笑)。
── そして2000年、2年振りにAIR JAMが千葉マリンスタジアムで開催されました。俺はピザオブデスのスタッフとしてカメラマンの手配とかを担当したんだけど、ピザに入ってまだ1年とかでノウハウも全くなくて。
ステージは2つあるし。
── そうそう。ひとつのステージに何人カメラマンを配置したらいいのかも分からない。結局、お願いしたのは4人。
ミニマム!
── ははは!今思うと少ないよね。川田洋司さん、前原猛さん、岸田哲平、そしてツカサ。
少なくとも5人はいてもよかったと思う(笑)。
── 心配だから事前に打ち合わせしましょうってことになって、4人にピザの事務所まで来てもらって役割分担をしたんだよね。しかも、AIR JAM 2000の写真撮影で一番異常だった、ヘリからの空撮っていうのがあって。
そうそうそう(笑)
──で、みんなに説明したんだよ。今回のAIR JAMは空撮ができるタイミングがあります。だけどそれはハイスタのライブ中です、って。みんなハイスタが撮りたいだろうから乗らないだろうなとは思いつつ、「撮りたい人いますか?」って聞いたら、ツカサが……
「はいはいはい!」(笑)。
── ね(笑)。あの時、すぐさま手を挙げた理由は?
だってハイスタはまた撮れると思ってたし、「1も2もなくヘリには乗ってみたいでしょ!」って。
──ハイスタとヘリを天秤にかけたら当時は余裕でヘリだったと(笑)。でも、空撮なんて初めてだし、それ用の機材も揃えなきゃいけなかったわけでしょ?
すっげぇ長いレンズとか持っていったけど、それを使って寄ってみるとただ上から撮った写真になっちゃって面白くなかったから、最終的には98年と同じレンズを使ったんだよね。スタジアムの上をグルグル回りながら撮って、最後に花火が上がったタイミングで「もっと寄って!もっと寄って!」って(笑)。
── そうだ、ハイスタのライブの最後に上がった打ち上げ花火を撮らなきゃいけなかったんだよね。
そう。セブンスターズがAIR JAM 2000の告知用のポスターを作ってて、それと同じ構図の写真を撮ろうと思ってたの。でも、全然上手くいかなかった(笑)。
── 何が誤算だった?
周りが暗すぎた(笑)。ヘリもけっこう寄ってくれたんだけどね、ドア開けっ放しで。
── 命綱は?
シートベルトを延ばしただけ。
──マジで!?
どこかがガチャっと外れたら下に落ちちゃうヤツ。怖かったけどすごく楽しかった。
── 後日、その空撮写真がビデオ「AIR JAM 2000」のジャケに使われることになって、結果的にかなり重要な役割を担うことになったんだよね。
うん。あれは未だに人に見せびらかせる写真のひとつだからね。
── 最初は全くそんなつもりなかったから、あの空撮写真をビデオのジャケに使うって決まった時は、ピザの制作担当として写真の仕上がりを見るのが超ドキドキでね。当時はまだフィルムだったから出来上がりに時間がかかってさ。しかも、蓋を開けてみたら「うわぁ~、微妙にブレてるのばっかり!」っていう。
よく形になったと思うよ。撮ってる時はパッケージの重圧はなかったから、ただ懸命にシャッター切ってた。
── そう考えると奇跡の一枚だよね。あの写真を撮ったことがその後の自分に影響を与えてたりするの?
うん。AIR JAM 2000のポスターのイメージが強烈に残ってて。何かが起こりそうな雰囲気っていうかさ。あのポスターをそのまま「こういうことが本当に起こったよ」っていう写真に置き換えてやりたいなと思ってて。でも、それを表現できるのは歌ってる写真ばっかりじゃないんだなって。演者が映ってなくても伝わるような写真っていうか、そのショウが伝わるような写真。その感覚は今の自分に通じてると思う。
──なるほど。
あれでどんな写真が人に伝わるのかっていうことが分かった気がする。あと、あの時は自分が撮った写真をセブンスターズがパッケージにしてくれて、「写真ってこうやって使うのか」っていうことも分かった。「こうやって物事を大きくしていくんだな」って。自分の写真がパッケージに使われたのはあの時が初めてだからね。
── 当時19歳の若手カメラマンがAIR JAMの様子をヘリから撮って、その写真がパッケージに使われるっていう。当時は何とも思わなかったけど、今思うととんでもないことだよね。
でも、当時はなんでも起こりそうな雰囲気があったし、今は「ヘリ飛ぶみたいだからついでに乗っけてもらえば?」なんて話にはならないよね(笑)
──あっはっは!たしかに(笑)。では、AIR JAM 2011はどうだった?
「AIR JAMやるんだぁ!やったぜ!」って思った。あの時が一番テンション上がったし、どこかに届けられるような写真にしようと思って撮った。あれは良かったなぁ。
── AIR JAM 2012はどうでしょう。
2012年は「遂に東北に来たな!」っていう。あそこで一旦ゴールしたよね。お客さんが嬉しそうだったし、あの時のハイスタも後ろからの画を撮ったんだよな。「MOSH UNDER THE RAINBOW」のとき。
── これは98年っぽい写真だよね。
この時もハイスタのバックドロップの上からカメラだけ出して撮ったからね。
── 十何年経っても撮影のスタイルが変わらないっていうのもすごい。
ああ、たしかに。ここに98年の写真重ねても大差ないかも(笑)。 でも、他のアーティストではこういう撮り方はほとんどしないんだよ。Hi-STANDARDのときだけは後ろからの画がハマるっていうのはある。
── それはなんで?
バンドとお客さんが近いところにいるからじゃないかな。バンドがお客さんに寄り添ってるし、優しい。だからなのか、メンバーよりもお客さんの顔を写すほうがこの人たちのショウが伝わるような気がするんだよね。
── さて、今年のAIR JAMだけど、今度はドームのてっぺんから撮るの?
それを撮れるのは俺しかいないからね!

三吉ツカサ主宰の写真家事務所Showcaseが運営している写真販売サイト「Showcase Prints」では国内外の数多くのアーティストの写真と、自社で制作している52ページのストーリーで綴る写真集「Series 52 shots」を発売中。一つの作品として、自分たちの撮った写真をそのまま見て欲しい。そんな願いが込められている。
現在取り扱っている主なアーティスト:
BRAHMAN / the HIATUS / SHANK / OVER ARM THROW / Beastie Boys 他多数

バンド結成20周年にあたる2015年にBRAHMANが行ったほぼ全てのライブを撮影した、三吉ツカサによるライブ写真集「WITH THE BAND, ON THE ROAD.」が数量限定で現在発売中。ライブだけでなく、Tourをまわりながらとらえたオフショットもおさめている。本作はShowcaseが運営する写真販売サイト「Showcase Prints」にて購入可能。BRAHMANライブ会場の物販でも販売している。
