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2018.04.03

FLJ PRESENTS [ TEPPEI KISHIDA ]

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1998/07 U.S.A “WARPED TOUR ’98” Photo by Akihiro Namba
インタビュー中にもある、’98年のワープド・ツアー中、ハイスタのツアーバスが去って行った時に、一人残った岸田哲平を難波章浩が撮った写真

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ライヴ・カメラマンの第一人者の岸田哲平。彼がHi- STANDARD を撮り始めたのは1997年のことで、翌年にはアメリカのワープド・ツアーにも帯同し、メンバーから確固たる信頼を得てきた。彼の初の写真集は、2015年3月発売の横山健の写真集「横山健 岸田哲平編」。そして彼にとって2作目、Hi-STANDARDにとっては初となる写真集『SUNNY DAYS』が遂に刊行された。彼にしか撮り得ない距離感と奇跡的な瞬間の数々。写真集の発刊を記念して、FLJではその中に収められた写真を紹介するとともに、カメラマン・岸田 哲平に迫ってみた。なお、インタビューは話に集中するためにHOOTERSで行われた。

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1997/06/02 HIROSHIMA NAMIKI JUNCTION “ANGRY FIST TOUR ’97”

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1998/07 U.S.A “WARPED TOUR ’98”

FLJ 写真を始めたのはどこから?

岸田哲平 広島から出て、大阪の専門学校に行ってからですね。その学校で、好きなものを撮ってこいっていう授業があって、だったらってことで、ライヴハウスに行って、普通にチケットを買って写真を撮ってました。最初はCOKEHEAD HIPSTERS、HUSKING BEEを撮りました。学校でプリントして、アーティストの人に会ったら手渡ししてましたね。

FLJ じゃあ最初はバンドが好きで写真を撮ってたんだ?

岸田哲平 写真って、自分だけのものって感じになるんですよ。自分の思い通りに撮れるし、オリジナリティが出ると思うんです。僕、収集癖があるから、これ撮りたい、あれ撮りたいって、好きなアーティストだったら一回撮ってみたいと思って。それで作品を溜めていった感じです。

FLJ 写真は独学? お手本にしたものってあるの?

岸田哲平 独学ですけど、専門学校に通ってたので。ライヴハウスに行って撮って、失敗もいっぱいして。グレン・E・フリードマンとかいろいろ海外の写真は見てましたね。

FLJ 日本のグレン・E・フリードマンになろうみたいな気持ちはあったの?

岸田哲平 最初の頃はあったっちゃありましたけど(笑)。目標って感じでした。『FUCK YOU HEROES』にはいろいろ教えてもらいました。

FLJ それで、Hi-STANDARDとの出会いはどこで?

岸田哲平 地元の広島にツアーで来るよっていう情報があったので、広島のハードコア・パンク・ショップのMISERYのGUYさんに頼んで。「写真撮りたいんですけど、どうにかなんないですかね?」って相談して。「撮れる撮れないはメンバーに聞いてみて。とりあえずパスは出してあげるから」って言われて。

FLJ 当日はメンバーの誰と話したの?

岸田哲平 あまり覚えてないんですよ。ポートフォリオを持っていって、「写真を撮らせてください」って言ったと思います。僕、COKEHEAD HIPSTERSのカズキさんにちょっと似てるので、ツネさんには「僕、カズキさんに似てるんです。 見てください」って写真を見てもらって。難波さんにも、健さんにも見てもらったんです。それでリハーサル前に「じゃあいいよ」って言ってもらえたんだと思います。楽屋の外で難波さんと話したのは断片的には覚えてますね。でも、後で聞いた話では、健さんはその時にポートフォリオを見て、「気持ち悪いヤツが来たな」って思ってたみたいで(笑)。

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1999/02 ROPPONGI ECHO HOUSE “MAKING THE ROAD” RECORDING SESSION

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2000/01/22 EBISU Milk “Loser’s Night Out Vol.2”

FLJ そこからはハイスタ(Hi-STANDARD)をいろいろ撮るようになっていったの?

岸田哲平 大阪に来た時は撮りました。当時のマネージャーの小杉さんと話してたから、小杉さんのやってたEATマガジンの取材でも撮るようになって。それで学校を卒業して半年ぐらいした時に、アメリカのワープド・ツアーに同行するんですよ。

FLJ ’98年のワープド・ツアーの LA(会場はアーヴァイン・メドウズ)で会ったもんね。WARPでもあの時の写真は使わせてもらったし。あの時のハイスタはけっこう客がモッシュしてたし、かなり盛り上がったよね。

岸田哲平 あれは衝撃というか、僕の中でも上位に入りますね。日本人でスゲエなと思いました。

FLJ ワープド・ツアーはあの日のLA以外も何ヶ所か一緒に回ったの?

岸田哲平 ハイスタと一緒について回って、最後に置いていかれて。そこからは一人でした。

FLJ 置いてかれたんだ?

岸田哲平 はい。千尋の谷に突き落としていただいて。ハイウェイを走ってる時に、「もうちょっとしたら帰国ですね」ぐらいの感じだったんですけど、健さんに、「おまえ、ハイスタでついてきて、そのままハイスタで帰るの?」って言われて。「いや、帰りますよ。チケットもありますので」「もうちょっと残ってみれば?」「そうですね ......」。その時の走ってる道路の絵は覚えてます。 つたない英語でワープド・ツアーのスタッフに「残れますか?」って聞いたら、「スタッフ用のツアーバスのベッドが1個空いてるから使っていいよ」って言われて。それでツアーバスを替わったんです。その時、難波さんはドラム缶の上に座ってて、 健さんは普通に立っててたんですけど、「残れるようになりました!」って言ったら、「マジかよーー !!」「本当に残るの?!」って、ギャーッと笑われて。僕はエーーッ?!ってなって。それで、餞別でみなさんから100ドルずついただいて。「じゃあさよなら」って言って、ハイスタのツアーバスがブーンと去って行った時に、「本当に行ったんだあ」って一人で本当に言っちゃいましたからね。 その時の僕の写真を難波さんが撮ってるんですよ。「進め!電波少年」みたいだって思いましたね。でも後日聞いた話だと、ハイスタの車は一度戻ってきたみたいで。でもその時には僕の姿がなかったそうです。ポツンといたら良かったのになと思って、ちょっと悔しいです(笑)。

FLJ その後の1週間は何を経験したの?

岸田哲平 1週間後にオズフェストとワープド・ ツアーが合体する日があって。オズフェスト撮れるぞ、よっしゃあ!!と思って行ったんですけど、そんないきなりパスなんか下りるわけないじゃないですか。だから全然撮れなかったです。オジーも観れず、トゥールも観れず、帰ってきました。21歳でした。でも、おいしかったのは、帰国したら、「こいつ置いて帰ったんだよ〜」って、健さんがいろんな人を紹介してくれたんですよ。難波さんにしてもそうで。

FLJ ハイスタの『MAKING THE ROAD』のクレジットにも書かれてるしね。

岸田哲平 サンクス欄に「SPECIAL NO THANX」って書かれて。

FLJ 「金返せ」って書かれてたよね。

岸田哲平 僕は100ドルもらったつもりだったんですけどね。でもずっと言われ続けようと思って、返さなかったです(笑)。

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2011/09/18 YOKOHAMA STADIUM “AIR JAM 2011”

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2012/09/15 MIYAGI MICHINOKU PARK “AIRJAM2012” DAY1

FLJ その後、東京に出てきてプロのカメラマンになっていく経緯は?

岸田哲平 大阪時代に、ワープド・ツアーで撮った写真とかをファイルに入れて、レコード会社に持って行ったんですよ。そしたら、「ライヴ写真を撮るんだったら東京に来た方がいいですよ」ってよく言われて。バンドが来日してライヴ・レポートってなると、東京が多いんで、それで東京に来たんです。それで、アンダーワールドとかも好きだったんで、来日した時のライヴを撮ったら、rockin’onとかいろんな雑誌に載って。その写真を見て、フィオナ・アップルの担当者から、「ちょっと撮ってください」って言われたんです。その時、パンク、ハードコアとは違うジャンルの撮影の依頼も来るようになったのが、「これでやっていけるかもしれない」と思った瞬間ですね。

FLJ ハイスタの写真で他にも思い出深いものは?

岸田哲平 思い出深いのはいっぱいあります。でも、やっぱりAIR JAM 2011のライヴの写真ですかね。難波さんが手を挙げている写真。それまではポジフィルムで撮影してたんですけど、 2011年だからもうデジタルじゃないですか。それをライヴ後にセレクトして、発信して、すぐYahoo!ニュースに載ったのは、時代が経ったなと思って、ちょっと不思議な気分になりましたね。デジタルは他のアーティストでは慣れてたんですけど、ハイスタでデジタルっていうのは何か不思議で。しかも、この写真を見て何万人もの人が勇気づけられるんだなあと思いながらだったので。

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2015/11/23 MAKUHARI MESSE “FAT WRECKED FOR 25 YEARS”

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2017/11/19 SAPPORO KLUB COUNTER ACTION “THE GIFT TOUR”

FLJ 2011年にハイスタのライヴを久々に撮った時に思ったことは?

岸田哲平 ただただ、いっぱいいっぱいでした(笑)。とにかく3人一緒の構図でパンチあるのを撮らないとっていうのが、絶対あったので。あと思い出深いのは、今回の写真集の表紙になったプール写真です。ワープド・ツアー中で前乗りした時の写真で、これスゴい好きなんですよ。一回、写真をどうする?ってなった時に、「向こうに3人いるのを撮りたいんですけど」って言って。「しょうがねえな」って感じで、3人がずっと階段を昇り始めた時に、「わあ、ハイスタの3人が昇ってるで〜」と思って。「じゃあ、お願いします!」って言ったら、手とか振ってくれて。「いいですね、いいですね!」って言ってるんですけど、「うわあ。(メンバーの姿が)小っちゃいなあ」と思いながら撮ってて。たぶん今、「ちょっと見せて」って言われて見せたら、絶対に怒られるじゃないですか。当時はまだフィルムなんで、「撮ったね」で終わってるんです。

FLJ 当時、この写真はメンバーに現像後に見せてるの?

岸田哲平 たぶん見落としてると思うんですよ。それで、5年前に写真集の話が出てきた時に、絶対表紙はこの写真にしたいと思って。「ハイスタがやってくれてはるで〜!」と思いましたね(笑)。

FLJ 写真集の構想は5年?

岸田哲平 5年ですね。

FLJ 写真集では何枚あった写真をどこまで絞っていったの?

岸田哲平 デジタル写真がめちゃくちゃ多いんですよ。6万枚はありましたね。実際に掲載したのは281枚ですから、めちゃくちゃ絞ったことになりますね。最初はカオスでしたから。

FLJ 構成はどのように考えたの?

岸田哲平 時系列で写真を見せていこうっていうのは決めてました。一番最初の写真から始まり、一番新しい写真はTHE GIFT TOUR 2017までで。THE GIFT TOURがまた良かったんですよ。だから、ここまで収められて良かったです。5年かかりましたけど、1年前に出してたら、思い出写真集になってたかもしれないです。昔の写真は1/3ぐらいで、2011年からが1/3。THE GIFT TOURに1/3ぐらい割いてるんです。それが自分にとっては濃い内容になったというか。ハイスタはTHE GIFT TOURで昔の曲もやるけど、新曲をやるし、今の姿を見せている。写真集もそういう風に作れたのが良かったです。

FLJ 哲平の写真って、それこそ初期の頃からライヴの「瞬間」ってものをスゴく捉えたものだなと思ってるんだけど、写真を撮る時に一番気をつけてることって何になるのかな?

岸田哲平 そのアーティストの自分の中でこうだと思ってるイメージをちゃんと撮りたいなと思ってて。マッシヴ・アタックだったら暗い感じは絶対に撮らないといけないし、自分でも撮りたい。普通にその姿が撮れてるっていうだけじゃ面白くないので。そこに自分の中のイメージやテーマを生かして撮るようには心がけてますね。ハイスタの場合は、やっぱりジャンプですね。

FLJ 確かに。二人が同時にジャンプしている写真、確実に押さえているもんね(笑)。

岸田哲平 フェスとかで若いバンドを撮ったりすることがあるんですけど、「ジャンプしねえなあ」って思ったりしますもん(笑)。もし若いバンドでジャンプしてたら、「いいね~!!」って思いますよ。ジャンプは大事です。パンクはジャンプですよ(笑)。若いバンドはお立ち台もいいけれど、お立ち台の高さを利用してもっと高くジャンプしようよって思いますね。まあ、僕はカメラマンなんで、おいしい絵を撮りたいだけなんですけど(笑)。

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2017/11/23 MIYAGI SUPER ARENA “THE GIFT TOUR”

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2017/12/14 SAITAMA SUPER ARENA “THE GIFT TOUR”

FLJ ちなみに、今はライヴ写真にしても、加工でかなり盛ったものが多かったりするんだけど、哲平が写真を撮る時に大切にしているものは何?

岸田哲平 時代によって写真の流行りはありますからね。ハードコアでストロボをスローシャッターでブワーってやるのも流行ってたし、グランジの時だったらストロボ一発とかも多かった。グレン・E・フリードマンのストロボ一発バチンとかで、これがハードコアでしょっていうのを、僕も影響されて昔からやってるので。今はみんな写真をスマホで見る時代だし、加工をすればやっぱり目立ちますから。今はインスタでも色味とか変えられるじゃないですか。だからこそ、やっぱり構図とタイミングが命ですね。せっかく切り取ってるわけですから。

FLJ 今回の哲平の写真を見ると、その時の思い出だけじゃなく、その時の空気感までよみがえってくるのがいいよね。それが哲平の写真のいいところなのかもしれない。

岸田哲平 ありがとうございます!

FLJ 最後に、写真集のこういうところを見てほしいというのがあれば、お願いします。

岸田哲平 思い出ばかりじゃないところを見てほしいですね。昔も含めた今という感じで見てほしいです。写真が好きな人は、いろんな技法の写真を載せてるので、それを見る楽しさもあると思う。「メンバー3人を近づいてこういう感じで撮ってるんだ」って、教科書みたいに見てくれてもいいです。

FLJ カメラマンとして、次の目標は?

岸田哲平 長年の夢だったハイスタの写真集を出せましたからね。引き続き、何かしらの写真集を出していきたいのが目標です。

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左から、恒岡章、難波章浩、岸田哲平、横山健

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■4/13(金)〜 4/22(日)
新潟万代シテイビルボードプレイス3F
■4/27(金)〜 5/07(月)
心斎橋オーパ9F hmv museum特設会場
■5/11(金)〜 5/20(日)
仙台パルコ本館5F PARCO SPACE 5
■5/24(木)〜 6/03(日)
名古屋パルコ南館8F 特設会場
■6/08(金)〜 6/24(日)
福岡パルコ本館8F PARCO FACTORY
■6/29(金)〜 7/16(月)
池袋パルコ本館7F PARCO MUSEUM

入場料:1,000円(特典付き:展覧会オリジナルパス)
※当日・前売ともに同額
※未就学児無料
※新潟のみ500円
前売:チケットぴあ

写真展スペシャルサイト
http://sunnydays-teppei.com/

http://www.parco-art.com
Twitter : @HiSTAphoto
http://teppeikishida.tk

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