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MAGAZINE

2017.08.09

EPITAPH RECORDS

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パンク、ハードコアから派生した音楽のすべてにとってエピタフ・レコーズは聖地のような存在だ。もちろん1994年を頂点とするメロディック・ハードコア、新世代パンクの一大ブームを巻き起こした台風の目ではあるが、その後時代どのように移り変わろうとも、エモ、ポップ・パンク、メタルコアと音楽がどんどん細分化して進化していこうとも、エピタフは常にトップ・レーベルであり続けてきた。2016年に入って日本でのエピタフのパートナーはソニーミュージックからワーナーミュージック・ジャパンに移り、ア・デイ・トゥ・リメンバー、ウィルコの日本盤がリリースされている。ここではエピタフの社長であるブレット・ガーヴィッツのインタビューを紹介したい。ブレットはバンド、バッド・レリジョンのギタリスト、ソングライターでもあり、レコーディング・エンジニア/プロデューサーでもある。エピタフが何故時代を切り開くことができたのか。そのキーが随所に出てくるインタビューとなった。

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FLJ そもそもエピタフ・レコーズはどのようにして始まったの?

ブレット エピタフはもう単純にバッド・レリジョンの7インチを出すために始めたんだ。バッド・レリジョンはハイスクールの時に友達と一緒に結成した、サンフェルナンド・ヴァレー初のパンク・バンドなんだ。それでライヴもやるようになって、グレッグのママのガレージでレコーディングもやったから、それを7インチにしたかった。それがエピタフの始まりさ。

FLJ エピタフを本気でやるようになったのは?

ブレット どこかで急に本気になったわけじゃなく、徐々だね。7インチを出して、ラジオ局のKROQでDJのロドニーと俺とでうちらの7インチをかけたら、LAで人気が出てきたんだ。それで、「LPを作ろう」ってなって。1982年に1stアルバム『How Could Hell Be Any Worse?』を作った。LPができてレコード店に持ち込むと、「ディストリビューターを通してくれ」って言われて、「ディストリビューターって何だ?」ってなって(笑)。話に行ったら「LPを買い取ってもいいよ」って言うから、「何枚?」って聞くと、「5000枚」って答えるんだよ。5000枚だって?! そこでちょっと本気になったね。でも俺はまだ親と一緒に住んでるスケーターのガキだった。その時にうちのベーシストのジェイ・ベントレーが、「俺の友達のバンドのレコードも出してやってよ」って言うんだ。それがヴァンダルズだった。それで彼らの1stアルバム『Peace thru Vandalism』を出したんだ。そこでまた少し本気になった。だけど1988年までは趣味の一つって感じだったよ。で、1988年に何があったかというと、バッド・レリジョンがアルバム『Suffer』を出したんだ。その頃俺はレコーディング・エンジニアの仕事を始めて、レコード輸入業者もやって、販売やディストリビューションを学んだんだ。それで当時、俺にはスージー・ショーっていうガールフレンドがいた。彼女はBomp! Recordsのオーナーで、Bomp!のファンジンはパンク・シーンを作ったと言われていて、スージーの元旦那のグレッグ・ショーはBomp!の雑誌とレーベルを立ち上げた人だった。Bomp! Recordsはデッド・ボーイズ、ディーヴォ、イギー・ポップ&ザ・ストゥージズといったバンドを抱えていて、俺は彼女からいろいろ教わることができた。それで1987年にグレッグとジェイから、「バッド・レリジョンのニュー・アルバムを作ろう」って言われたんだよ。『How Could Hell Be Any Worse?』から5年経っていて、この間にバッド・レリジョンはスゴく人気が出ていた。当時すでに俺はレコーディングの腕が良くて、LA中のロック・バンド、ノイズもアンダーグラウンドも、ありとあらゆる音楽の制作をやっていた。1万枚は作ったかな。自分でスタジオも持っていて、ウェストビーチ・レコーダーズっていう名前だった。アルバムを作ろうって言われた時に、「エピタフから出すのでいい? レコーディングは俺のスタジオで俺がやっていい?」って聞いたら、「もちろん」ってなって。それで、バッド・レリジョンをまたやるのなら、エピタフもやろうと思ったんだ。そこでかなり本気モードになったね。『Suffer』を録って、ディストリビューター数社に連絡したら、「バッド・レリジョンの新作?!」ってなって、スゴく盛り上がってくれてね。それでアルバムを発売したところ、大人気になって、スゴく影響力を持ったアルバムになった。と同時に、他のバンドがこのアルバムのサウンドをスゴく気に入ったんだよ。みんなが俺のスタジオに来て、「あのサウンドが欲しい」って言うんだ。それでNOFXとかペニーワイズのレコードは、俺自身でレコーディングを手がけることになった。それ以前のパンク・バンドのサウンドって、おそらくラモーンズを除いてはひどい音だったからね。でも『Suffer』はラモーンズ並みに良いサウンドだった。クソみたいなバンドでも良い音にするような仕事をしていたからね(笑)。

FLJ なるほどね。それでいきなり良いサウンドのアルバムが出て、それをみんながフォローするようになったんだ。

ブレット いろんなバンドが俺のスタジオに来るから、その中から、「良いね。エピタフから出さない?」って言うようになって。そこからいわゆるエピタフ・サウンドが生まれていった。エピタフの本格的なスタートは、俺のスタジオの小さなクローゼットからだった。そこにレコードの在庫が収まらなくなると、101フリーウェイの下の倉庫を借りた。よく自分のスピードワゴンに乗って、倉庫からレコードをピックアップして、スタジオに持ち込んで、そこにトラックが集荷に来ていたね。それが1990年まで続いたのかな。1991年になるとエピタフはかなり好調で、初めて10万枚出荷するレコードも生まれた。それが『Against The Grain』なんだ。もうスタジオでは狭すぎて、初めてのオフィスをサンタモニカ・ブルヴァードのビルに借りたよ。当時、アメリカで最もビッグなパンク・バンドはバッド・レリジョンとフガジだった。セールスは十万単位で、ライブも大規模になって、3000人の前でプレイするようになっていた。そこにオフスプリングのレコードが出てきて、今度は本当の本気になったね。オフスプリングは数百万のヒットを出すし、ペニーワイズは数十万のヒットを出すし、ランシドはゴールドディスクに輝くし、その後にはバッド・レリジョンの『Stranger Than Fiction』もゴールドディスクになったから。

FLJ 1994年になると、オフスプリングの『スマッシュ』がミリオンセラーになって、エピタフはLAで3日間、「サマー・ナショナルズ」というイベントをやるよね。

ブレット 1994年は本当にバンドがビッグになったから、ファンへの感謝の意味も込めて、ハリウッド・パレイディアムで開催したんだ。俺が初めて観に行ったデカいパンクのライヴはパレイディアムのラモーンズだったからね。それでパレイディアムで3日間、エピタフ所属のバンドすべてが観れるようにしたんだ。チケットは6ドルで、Tシャツは5ドル。キッズはみんな喜んでくれたね。プロモーターからは、「ハコ代が高いから、チケット代を安くできないよ。エピタフの方で埋めてくれ」って言われたね。あの時は歴史上最大のゲストリストになった(笑)。だけど、みんながいつまでも覚えていてくれているし、バンドもファンも一つの大きなファミリーになってつながることができたから、スゴくスペシャルなひと時だった。

FLJ ’90年代前半までは同じ時代の友達、後輩バンドがエピタフの看板バンドとなっていたわけだけれど、その後に新世代も出てくるわけだよね。新世代のバンドに対してはどういう風にアプローチしていったの?

ブレット もちろん簡単な話ではなかった。新世代のメタルコア・バンド、エモ・バンドが出てきて人気になっていったよ。でも例えばフガジなんかもある意味エモ・バンドなんだよ。そのエモがメタルとミックスしたり、ハードコア・パンクがメタルとミックスしてメタルコアになったり、パンクとハードコアから様々なスタイルが派生、進化して、新しいバンドが生まれていったんだ。エピタフでも、モーション・シティ・サウンドトラック、フロム・ファースト・トゥ・ラスト、パークウェイ・ドライヴ、マッチブック・ ロマンスといった新世代のバンドを俺は契約していったよ。俺はミュージシャンで音楽ファンなんだけれど、同時にレコード会社社長でもある。だから決して批判的に見たりはしないんだ。物事は常に変化するから。今のキッズはこういうものが好き。クール! それをやってみよう!って。面白いのが、パンクの人たちは新しいものをファックだと思っているし、今のキッズが大嫌いなんだ。俺自身、新しい音楽アーティストと契約するたびに批判されるよ。昔のエピタフの音が好きで、今のエピタフの音が嫌いな人って多いんだ。でもね、今のキッズは新しい音が好きなのはもちろん、ディセンデンツだって好きだったりするんだよ。ア・デイ・トゥ・リメンバーのメンバーなんてミレンコリンが好きなんだ。だけどペニーワイズを好きなキッズはア・デイ・トゥ・リメンバーを好きじゃない。いや、もうキッズって年じゃないけれどね(笑)。

FLJ ある意味面白い時代になったよね。

ブレット 今はおかしなことが起こっているよ。ワープド・ツアーはもう内戦みたいになっている。ありとあらゆるタイプのバンドが同じツアーに参加して、しかもお互いを嫌っているんだ。ツアーバスだって隣りに駐められないし、悪口を言い合っているし、ステージ上だってそう。NOFXとアンダーオースが同じ年のワープド・ツアーで共演していたの覚えている? とにかく、反逆的なパンクスが今は気難しいお祖父さんになってしまったってことだ(笑)。

FLJ だけどブレットのように、今も新しい音楽をわかっている人ってなかなかいないし、新しいバンドをブレイクする前に見つけてくる先見の明って驚異的だと思う。それができるのは何故?

ブレット オープンマインドでいることに尽きるね。オープンマインドでいるのってスゴく難しいんだよ。判断を下すのを後回しにして、オープンな気持ちでいて、その物事のなるべく良いところを見ようとするんだ。悪いところは見ようとせずにね。だって、誰かが好きなわけでしょ。ということは何か良いところがあるはずなんだ。どこを好きなのか探せば、理解できるようになるし、その人が考えるように考えることができるし、ハマれるようにもなる。例えば、小説を読んで好きになるのは、その作家の気持ちに入っていけるからだと思うんだ。だから、新しい音楽を発見した時は、その音楽を好きな人の気持ちに入っていかなければ好きにはなれないよ。でもそれって可能なことなんだよ。ただそれをやるにはやりたい気持ちが強くなければ難しいね。

FLJ 自分がキッズだった時の気持ちに戻ると、やっぱり新しい音楽は自分で選びたかったし、人からとやかく言われたくなかったよね。

ブレット でも俺たちがキッズだった時、レコードを買って、好きになるまで5回は聴いたと思うんだ。聴いて好きになるまで時間がかかったんだ。今の俺たち世代だと、一度聴いただけでもういいやってなってしまう。だから昔から好きなものを聴いた方が簡単なんだよ。例えば、俺はトゥエンティ・ワン・パイロッツはスゴいバンドだと思うんだ。だけど初めて聴いた時、最初の数秒だけではグレイトかどうかわからない。俺は仕事柄、最初の3ノートを聴いただけで、このシンガーは良い声の持ち主だとか、良いドラマーがいるだとかはわかるよ。だけどそんなことだけが重要ではなくて、すべての要素が重要なんだよ。もし曲もスタイルも良かったらオープンマインドになるべきだね。それまで聴いたことのない新しいものがそこにはあるから。音楽っていうのはカルチャーであり、カルチャーっていうのは常に動いている。ファッションもアートもそうなんだ。だからこの世界でプロフェッショナルでいたいのなら、オープンマインドになるべきだし、興味を持たないといけない。だけどパンクという特殊な音楽ジャンルが俺にはわからないことがあるよ。俺にとってパンクが意味するものは、クレイジーでオリジナルでいることだった。だから常に新しいものや他とは違うものに興味を持ってなきゃいけないはずだ。だけどパンクはそういう風にはならなかった。

FLJ 確かに。今は逆にルールが多すぎる。

ブレット もう共和党員みたいだから(笑)。スゴく保守的で、「こうあるべき」「これはダメ」っていうのばかりで。パンクはアナーキーだろ? 今の年取ったパンクほど批判的な人間はいないね。だけど俺はそんな風にはなりたくないから。

FLJ 今はみんなCDも音楽配信も買わなくなって、ストリーミングサービスばかり楽しむ世の中になってしまったけれど、エピタフはどういうスタンスで音楽ビジネスを考えているのかな?

ブレット エピタフを始めた時は、7インチと12インチのヴァイナルしかなかった。そこにカセットが加わって、CDが加わった。それでカセットがなくなり、ヴァイナルがなくなり、そこにナップスターが現れ、すべてがなくなった(笑)。俺がどう思うかって? 俺はテクノロジー好きじゃないけれど、デジタル革命は面白いと思う。ビジネスの視点で見ると、エピタフがダメージを食らうとは思わないんだ。逆に助けられるんじゃないかって思う。ストリーミングが始まる前って、レコード店ではペニーワイズのレコードを置いてもらえなかった。トップ100のレコードしか扱っていなかったから。エピタフには2000ものカタログがある。レコード店だとその半分も扱えないよ。でもストリーミングだと、バッド・レリジョンの1stアルバムを聴きたいっていう人はスゴく多いんだ。それがスマートフォンで聴けてしまうし、それでハマってしまう。けっこうクールなことじゃないのかな。世界はどんどん狭くなっているから、そんな人が世界中にいるんだ。そのうち、中国やアフリカのキッズがスマートフォンで俺たちの最初の7インチを聴く日が来るんじゃないかな。10年前だったら想像もできなかったことだよ。だから、デジタル革命はうちのカタログを販売するのには大きな助けになるっていうことなんだ。

FLJ 最近、今後のリリース関係についても聞きたいんだけど。

ブレット まずビッグ・ニュースなんだけど、本日(取材日は9月2日)、ア・デイ・トゥ・リメンバーの『Bad Vibrations』がiTunesで全米1位に輝いたんだ。あと、俺のお気に入りのポップ・パンク・バドのJoyce Manorのニュー・アルバムが10月に出る。ディセンデンツも新作を出したし、評判もスゴく良いよ。ウィルコもエピタフの姉妹レーベルのANTIから『Schmilco』を出す。素晴らしいニュースクール・ハードコア・バンド、Touché Amoréのニュー・アルバムも出るんだ。アコースティック・デュオのThis Wild Lifeもニュー・アルバムを出すよ。あと、このニュースには驚かないでほしいんだけれど、来年のどこかでFalling In Reverseがニュー・アルバムを出す予定だ。

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ウィルコの通算10枚目、約2年ぶりとなるスタジオ・アルバム『シュミルコ』の日本盤がリリースされているので紹介。ウィルコは、ジェフ・トゥイーディが、イリノイ州ベレヴィル出身のオルタナ・カントリー・シーンの顔役的存在であったアンクル・トュペロの'94年の解散後に立ち上げたバンド。音響系からポップ、ロック、カントリー、ジャム系までのサウンド世界を縦横無尽に行き来するサウンドで、インプロヴィゼーションのマジックが素晴らしくライヴの評価の高い彼ら。このニュー・アルバム『シュミルコ』は、フジロック・フェスティバル2016、2日目のグリーンステージでも披露された新曲「Locator」を含む全12曲を収録。エクスペリメンタルというよりも、ジェフのアコースティック・ギターと歌声を中心に作られた、より楽曲を聴かせるアプローチとなっている。アルバムのアートワークは、スペインのアーティスト、ホワン・コルネラによるもの。日本盤のみ、「肝心なところが日本語」になったという、オリジナル・ジャケット仕様。2016年9月28日リリース。

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