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2016.08.10

AIR JAM ヒストリー

  • REPORT

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現在の音楽シーンに多大なる影響を与えた
AIR JAMの歴史を振り返る。

 Hi-STANDARD主催の音楽フェス「AIR JAM 2016」が、12月23日に福岡・福岡 ヤフオク!ドームにて開催される。AIR JAMが開催されるのは今回で5回目となり、2012年以来およそ4年ぶりで、西日本で実施されるのは今回が初めてとなる。
 現在の音楽シーンに多大なる影響を与え、伝説化されてきたAIR JAM。このAIR JAMがどういうフェスなのか、その歴史を振り返ってみたい。

 AIR JAMの初開催は、1997年の8月30日土曜日、会場はお台場のレインボーステージだった。1997年はHi-STANDARDが2ndアルバム『ANGRY FIST』をリリースした年でもある。
「(『ANGRY FIST』は)5月リリースだったから、6月、7月をツアーにしようっていうミーティングをしたんですよ。その時にファイナルを野外でって話になって。でもせっかく野外でやるんだったら、友達のバンドを呼んで、ツアーとは切り離して、ツアーはツアーでちゃんとファイナルまでやって完結させて、別で考えようっていう風に話して始まったのが、AIR JAM '97なんですよ」。(横山健)
 主催はHi-STANDARD。出演バンドは、COKEHEAD HIPSTERS、GRUBBY、GARLIC BOYS、SLANG、HUSKING BEE、ヌンチャク、SUPER STUPID、COCOBAT、Hi-STANDARD。1990年代に入ってライブハウスやスケーター系イベントなどストリートのシーンから新しく出てきた、メロディック・パンク、ハードコア、ミクスチャー・ロックといった新しい音楽スタイルのバンド群たち。DIYで活動してきたバンドのシーンが大きく広がっていく中での絶妙なタイミングでもあった。また、バンドのライヴに加えて、スケートボードのランプも設置され、スケーターによるデモも行われた。当時アメリカで始まったばかりのワープド・ツアー同様、ボードスポーツ、ストリート・カルチャーとも連動した、音楽 × カルチャー/ライフスタイルのフェスでもあったのだ。1,980円という破格なチケット代で、1万人入る会場も約1時間でソールドアウト。当時はまだ日本にロックフェスなど定着していなかった時代で、FUJI ROCK FESTIVALが始まったのもAIR JAMと同じ1997年だった。

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AIR JAM ’97はこんな宣誓からスタートした。

「今日はみんなが待ちに待ったAIR JAM ’97です。AIR JAMは今日が初めてのイベントですが、自分たちのできる範囲でみんなに協力参加をしてもらって初めて成功するイベントだと思っています。本当の意味のクロスオーバーとは、人から与えられるものではなく、自分たちで作り上げていくものだと思って、このイベントを企画しました。それでは最後まで楽しんでいってください」。(難波章浩)
初めての試みであったAIR JAM ’97は大成功。当時、イベント直後にWARPでインタビューを行った時の難波章浩の言葉を紹介したい。

「(Hi-STANDARDが)サンフランシスコでレコーディングをしている時に、何かの話の流れで、『野外ライヴをやりたいね』ってなって。『じゃあやろう』って、本当に単純な理由で。どうやったらできるんだろう?ってなった時に、じゃあ自分たちで野外イベントを企画しちゃえばいいじゃんって」。(難波章浩)

「ちょうどその時期、サンフランシスコのあるイベントに出たんですけど、別に何とかのメーカーとか、何とかの雑誌とかの主催イベントじゃないにも関わらず、バンドとして、スケーターとして、スノーボーダーとして、ほとんど友達のレベルでスゴい盛り上がるイベントをやっちゃうんですよ。それもスゴいスムーズに。そのイベントに僕らが誘われたのがその日の1週間ぐらい前で。決まった次の日には、僕らの名前が載った新しいチラシがサンフランシスコの街じゅうに貼られてるんですよ。1週間しか告知していないのに、当日にはもうスケーターやパンクスが1000人ぐらい集まっちゃうんですよ。それに出演して感動したし、このパワーって何なんだろうな?って思ったんですよ。どういう風に自分たちの世代としてやれるのか、盛り上げられるのかを常に考えてるから、一つの大きなシーンになってるというか。結束力がスゴいなって思ったんですよ、でもここ最近は日本でもスゴく盛り上がってきていると思うんです」。(難波章浩)

「そういうことができる状況になってきていると思うし。今まで、いわゆる大人がこういうものをやろうよってアプローチしてくるようなものはいくらでもあったと思うんですけど、そういうものばかりじゃなく、自分たちの世代から発信されたものが今は主流になってきてると思うんですよ。音楽にしても、文化にしても、スポーツにしても。始まりはそんなに大げさなものではなかったんですけど、結果としてAIR JAMはそんなことを感じるイベントだったかなあとは思います」。(難波章浩)

「あの日出てくれたバンドは、みんな何回か一緒にやったこともあるし、形はいろいろ違っても、どういう活動しているかってわかってるバンドたちばかりで。ある意味僕らが信頼を置いているバンドばかりでした。それぞれの方面でみんな影響力のある人たちばかりだと思うし、イベントとしてあれだけのバンドが集まるとやっぱり興奮しますね。何もしなくても、何か起こっちゃってるくらいの勢いはあったと思う。出演したどのバンドもむちゃくちゃカッコ良かったし、みんなのテンションが上がっていくのがひしひしと伝わった。あの緊張感はたまらなかった」。
「今回、あの空間にいたすべての人たちによってAIR JAMというイベントが作られたってことを強く感じました。タイミングとチャンスがあればまたやりたいと思います」。(難波章浩)

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AIR JAM ’98 一つの完成形に近いものとなった。

2回目となるAIR JAM ’98は、翌1998年8月22日土曜日、会場を豊洲の東京ベイサイドスクエアに移して開催された。この会場はちょうどこの年のFUJI ROCK FESTIVALと同じ場所で、「都市型フェス」というコンセプトの走りにもなった。ステージも2つ組まれ、今でこそ一般的となったフェスのスタイルである、一つのステージで演奏中にもう一つでセッティングを行い、ライヴ演奏終了と同時に次のステージがスタートという転換方法が導入された。全16組のバンドが出演し、一つのステージでは、COCOBAT、RUDE BONES、COKEHEAD HIPSTERS、THUMB、BACK DROP BOMB、HUSKING BEE、WRENCH、SUPER STUPID、Hi-STANDARDが出演。もう一つのステージでは、YELLOW MACHINGUN、ABNORMALS、URBAN TERROR、GARLIC BOYS、REACH、SCAFULL KING 、BRAHMANが出演した。また、国内外から集まったスケーターたちのために、ミニランプとストリート・セクションも設置された。

「'98年の時にはみんなもうAIR JAMっていうつもりでやったと思うんですよ。'97年の時にできたものをさらに面白くしようっていう」。(横山健)

 3万人を動員したAIR JAM ’98は、さらに進化したAIR JAMとなり、一つの完成形に近いものとなった。フェス中盤のHUSKING BEEの時にアンコールが起こったり、Hi-STANDARDが新曲「Stay Gold」を披露したりするなど、伝説も生まれた。当時イベント直後にWARPに寄稿した難波章浩の言葉を紹介したい。

「1998年8月22日。俺はまた一つ何か大きな物を手に入れたようだ。それは何なのか? 自分で恥ずかしくなるくらい、今言葉にすることができない。本当に感動した。涙が出るほど感じた。みんな悔しいほど素敵だった。そして、幸せだった。あの日が終わって数日、思いっきり思い出に溺れた。だけど、今はその思い出という宝をしっかり握りしめて、バンドとして、家族として、友達として、そして自分自身としてこれからを生きていこうと思う。そんな気持ちです」「また、何かチャンスがあったら、一緒にワクつくことをしましょう。人のパワーって本当にスゴイね。みんな、早くからありがとう。また、会いましょう」。(難波章浩)

 1999年はAIR JAMの開催がお休みとなった年だった。開催する予定もあったらしいのだが、'97年の時の会場がなくなってしまい、Hi-STANDARDはFUJI ROCK FESTIVALから来たオファーを受けてそこに出演することとなる。ここでスピンオフ的な話を一つ。
「'99年のフジロックの時って、レイジ(アゲインスト・ザ・マシーン)がヘッドライナーだったじゃない? 実はハイスタ(Hi-STANDARD)がヘッドライナーをやってくれってオファーがあったのね。難ちゃん(難波章浩)が断ったんだよ(笑)。やっぱそういうのがガラじゃないと思ったんだろうね」。(横山健)

 そして2000年。3回目となるAIR JAM 2000は、2000年8月26日、千葉マリンスタジアム(現・QVCマリンフィールド)で開催されることになった。野外の会場がなかなか見つからない中、出てきたスタジアム案だった。今では千葉マリンスタジアムというとSUMMER SONICのイメージが強いのだが、SUMMER SONICの初開催は2001年で、AIR JAMの方が先に開催されている。ここでは’98年のスタイルを踏襲した2ステージで、全18組のアーティストが出演。AIRステージでは、BACK DROP BOMB、The SKA-FLAMES、MASTER LOW 01、SHAKKAZOMBIE、MAD3、MOGA THE ¥5、BRAHMAN、WRENCH、Hi-STANDARD。JAMステージでは、ABNORMALS、THE MAD CAPSULE MARKETS、bloodthirsty butchers、喜納昌吉&チャンプルーズ、SCAFULL KING、鉄アレイ、COCOBAT、the 原爆オナニーズ、HUSKING BEEが登場した。
 この日の動員は3万人。しかも完全なDIY。バンド、スケーター、BMXライダー、ロッククライマー、DJ、ありとあらゆる関係者が集まった一つの大きなファミリーのイベントとなった。当時のシーンが最高に盛り上がっていた時期もあって、AIR JAM 2000の熱狂ぶりには凄まじいものがあった。BRAHMANのライヴ中に入場規制を突破した観客がアリーナ内になだれ込んで、ライヴ中断という事件も起きたほどだ。そして最後に登場したHi-STANDARDのライヴの時の3万人のユニティ、ラスト曲「Mosh Under The Rainbow」で千葉マリンスタジアム中に広がった笑顔あふれる大きなサークル、そして最後に打ち上げられた花火は、日本のフェス史に残る伝説となった。
 Hi-STANDARDはこの日のライヴを最後に長い活動停止期間に入ることとなる。

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音楽の力を信じるパワーと復興に向けての強い思い。

 AIR JAM 2000から11年。2011年3月11日に起こった東日本大震災を受けて、「日本を元気づけたい」……その想い一つで、11年の歳月を経て再始動を決めたHi-STANDARD。AIR JAM 2011は、元々難波章浩が企画していたフェスがあり、そのために確保していた会場の横浜スタジアムを使って急遽AIR JAMに内容を変えて開催したものとなった。

「僕が夏にフェスをやりたいって言い出したんですよ。で、健くんに相談したんですよね。AIR JAMの感じをやりたいんだ、だけどハイスタの活動ではできないから、AIR JAMっていう名前ではなくて、新しいフェスとして名前を付けてやるか、もしくは健くんと一緒にやりたいんだよね、ってことを言ってたんですよね」「だけどまだ『一緒にやろう』という感じではなかったですね。俺がやりたいっていうのが先走っちゃってた時期だったんですよ。それで、クアトロのファイナルで、何も決まってないんだけど……『やります!!』って言っちゃったんですよ(笑)」「それが3月4日だったんだけど、3月11日に震災が起こって。もうフェスどころじゃなくなっちゃったんですね。日本がどうなるかわからないという状況で、フェスなんかやるって決めちゃいけないなと思ったんです。で、やめようかなっていうところまで一回行ったんですよ」「でも日が経てば経つほど、『だからこそやらなきゃいけないのかな』とか、いろんな思いが浮かんでくるんですよ。それがもう日々違う。そういう日々を繰り返していて、健くんに『会ってくれないかな』って言ったんですよ」。(難波章浩)

「僕はけっこう去年の暮れからいろいろ相談を持ちかけられて、冷静に見てたんですよ。今突然ハイスタやるって言ったって、俺もKen Bandやってるし、君(難波章浩)は君でせっかく始めたんだから、こういう言い方すると変なんだけど、せっかく自分で積み上げたものが、今やったら全部ハイスタに持ってかれるんじゃないかって。そんなことをやるべきじゃない、それぞれが僕たち一人でやれてます、ってなってまた集まる方がシブいんじゃない?って、僕はずっと何年も思ってたんですね。それでけっこう冷静に『いやあ、それは今できないよ』って答えてて。でも震災でガラッと変わっちゃいましたね」。(横山健)

「震災後に二人でミーティングをしたんだけど、何と7時間にも及ぶ長時間ミーティングが繰り広げられて。その時間がメチャ楽しかったんですよ。久しぶりに会えて、健くんとこんな話できるなんてうれしいと思いながら。とにかくそれが最高で、その夜の最後の別れ際に撮った写真が『GO JAPAN』なんですよ」。(難波章浩)

「俺たち、世間的には仲悪いと思われてたし、まあ実際、仲悪かった時期もあったんだけど、でもホテルで二人で話した時にスゴくいい空気になって。そういうことに気を揉んでる連中とかにパッと見せてやりたいと思ったんですよ」。(横山健)

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 3月25日に難波章浩と横山健が二人のツーショット写真を同時にツイッターにアップして、「GO JAPAN」とツイート。そして、4月26日には難波章浩、横山健、恒岡章の3人がツイッター上で「9.18ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!」と同時にツイートして、3人の写真もアップした。

「俺にとっては、難ちゃんの『Hi-STANDARDをやりたい』『AIR JAMをやりたい』って思っててくれたのがデカいのかなって気がします。僕は正直言って、Hi-STANDARDってもうないものだと思ってたんですよ。時期が来たらまたあるのかも知れないけど、それはまだ全然見えなかったし。それだったらないと思ってた方がいいって思ってたんですよ。だから自分からHi-STANDARDをやろう、AIR JAMをやろう、っていうアイデアはこれっぽっちもなかった。で、言われて、『いや、それはちょっと違うんじゃないか』っていうやり取りをしている間に震災があって。そういう気持ちに対して僕が乗れたっていうか、それが何しろ大きいですね」「自分たちで言うのも何だけど、あんなに仲悪かったのが、日本を持ち上げるためには『やろうぜ』『できる』ってなったんです」。(横山健)

 5月13日にはAIR JAM 2011の開催を発表。ツイッターとオフィシャル・ウェブサイトのみでの発表にも関わらず、反響は凄まじく、3万枚のチケットに20万人以上が応募した。そして、2011年9月18日、待望のAIR JAM 2011が横浜スタジアムで開催されることとなった。Hi-STANDARDも11年ぶりの奇跡の復活を遂げた。今回も2ステージが組まれ、全15組のアーティストが出演。Hi-STANDARDにゆかりのあるアメリカのバンドも2組出演することとなった。AIRステージでは、磯部正文BAND、Pay money To my Pain、FACT、KGDR、TURTLE ISLAND、the HIATUS、マキシマム ザ ホルモン、Hi-STANDARD。JAMステージでは、10-FEET、SCAFULL KING、MURPHY’S LAW、LOW IQ 01&MASTER LOW、WAGDUG FUTURISTIC UNITY、ME FIRST AND THE GIMMIE GIMMIES、BRAHMANが登場した。また、今回も大きなスケートランプが設置され、国内外のスケーターとBMXライダーによるデモも行われた。

「一人のミュージシャンとしては、震災前と震災後っていうのは全く分けて考えないといけないなっていうのは考えてますね。ちゃんと身の周りに起こったことをリアルに感じて、震災後の今どうすべきかってことをちゃんと考えて音楽をするなり、発信をするなりするのがミュージシャンの役目だと思うんですよ。僕らHi-STANDARDは、それができそうだから、ちょっとそこは自分らを誇りに思うところで」。(横山健)

「ハイスタが復活して、本当にパンク信じて良かったと思うし、『復興あるでしょ。日本また上がるでしょ』って信じる心を僕は持ってるから。それはハイスタの威力で、健くんとツネちゃん(恒岡章)の威力をもらって俺もスゴく元気になってるし、その信じる心っていうのを見せたいですね」。(難波章浩)

 この日のライヴで、Hi-STANDARDはMCで「俺たち、日本のために集まったんだよ」と言っている。この日のAIR JAMは単なる音楽フェスではなかった。そこに集まった人たちの音楽の力を信じるパワーと復興に向けての思いが強く感じられる場であった。

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自らができることを考える機会を持つことができるという大きな意味もあった。

 東北でAIR JAMをやりたい……Hi-STANDARDのメンバーの悲願であった被災地でのAIR JAM開催が、翌2012年には実現した。AIR JAM 2011での収益をAIR JAM 2012の開催に充てることとなり、2012年9月15日・16日と初の2日間開催で、会場は宮城県国営みちのく杜の湖畔公園が選ばれ、2日間合わせて4万5000人を動員した。被災地である東北でAIR JAM開催をすることによって、東北の人たちを勇気づけるともに、全国各地から集まった人たちによって、東北にお金が流れ、彼らが東北の現状に触れ、自らができることを考える機会を持つことができるという大きな意味もあった。

「やっぱり東北でAIR JAMをやったら、意識がものスゴく向こうに行くじゃないですか。エネルギーもお金も行くと思うし。それをゆっくり繰り返していくんですよ。やっぱり復興は長いですから。一気にはみんな良くならないから。じっくり、じっくり。『またこの感じ体感したいな』『よし、じゃ頑張るぞ』って思ってくれたら」。(難波章浩)

 今回もメインでは2ステージが組まれ、2日間に渡って20組のアーティストが出演した。1日目は、AIRステージでは、FRONTIER BACKYARD、SION & The Cat Scratch Combo、AA=、Dragon Ash、Hi-STANDARD。JAMステージでは、dustbox、MONGOL800、マキシマム ザ ホルモン、MIGHTY CROWN、HUSKING BEEが登場。2日目は、AIRステージでは、RADIOTS、RIZE、ASIAN KUNG-FU GENERATION、SLANG、BRAHMAN。JAMステージでは、MEANING、THA BLUE HERB、KEMURI、10-FEET、Hi-STANDARDが登場した。この2ステージに加えて、東北ライブハウス大作戦ステージも組まれ、ステージに使う電力をソーラーパネルでまかない、1日目は、吉村秀樹(bloodthirsty butchers)、PULLING TEETH、雷矢、内郷げんこつ会が出演。2日目は、渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET、THE ZOOT16、猪苗代湖ズ)、TILITILI、鐵槌、Bull The Buffalosが出演、片平里奈、TGMX(FRONTIER BACKYARD)、磯部正文(HUSKING BEE)、KIYOSAKU(MONGOL800)も飛び入りで出演した。今回も大きなスケートランプが設置され、国内外のスケーターとBMXライダーによるデモも行われた。
 2日両日とも出演したHi-STANDARDは、日によってセットリストを変えて臨み、両日ともラストで演奏した「Mosh Under The Rainbow」でいくつもできたモッシュサークルが、AIR JAM 2012の忘れられない光景となった。

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