2026.05.25
【磯部正文】HUSKING BEE 1996年編
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時系列が定かではないのですが、今回のブログの書き出しは1996年当時SUPER STUPIDで活動していた市川昌之a.k.a.LOW IQ 01氏のことに触れよう。
最初にどのライブハウスで見たのかはもう覚えていませんが、見る前から、すごいバンドなんだと周りから聞いていて、初見で曲のパワーやライブの凄まじさに圧倒された。
演奏力の高さはそりゃもう半端なかった。COKEHEAD HIPSTERSやCOCOBATやGMFなどとの対バンのライブをよく見ていたが、市川くんの比類なきオーラや存在感、強烈な個性は憧れだった。さすが東京、すごい人がおるわーと思っていた。近寄りがたい存在だった。
ある日、渋谷のO-WESTでHUSKING BEEのライブがあった。ライブが終わって帰ろうかなと思っていたら、テッキンが「さっきSUPER STUPIDの市川くんに声かけられて、お前らすげーよかったよーって言ってもらった。」って興奮して伝えてきた。
だが、当時のテッキンは出来事を3倍から5倍くらいに平気で膨らませて伝えるところがあった。例えば、とある日に渋谷のGIG-ANTICでライブがあった時、僕とテッキンと広島出身の友人3人で、たまたま会話していたタイミングが少しだけあった。後日、テッキンが別の友人に「いやーこの間渋谷でライブがあった時に、イッソンとか広島出身の人達だけの15人くらいに囲まれて話してる時があって焦ったよー。」と言ってるので「いや…わし含めても4人くらいしかおらんかったよ。」と言うと「いやいやいや、絶対15人くらいいたよー!」と頑なに貫いていたりした。なんだかかなりやばいし、そういう人なんだなあ、と思うようにした。そして同じようなことが他にも何回かあったので、市川くんの話も、はい出ました再度オーバーにしているんだろうと。するとたまたま居合わせた友人が、「さっき近くで見てたけどほんとに言ってたよ。」と。
それでも僕はしばらくの間、あんなすごい人が僕らのことをいいとか言うわけないと思っていたが、後日、下北沢でのライブ後に声をかけてもらって、一緒に呑みに誘ってもらった。テッキンの話は本当だったんだ。
市川くんは4時間以上マシンガントーク。市川くんの発言の後に時々、「はい」としか言ってなかった。市川くんは当時、僕のことをライブハウス等でなんとなく見かけてはいたものの、バンドしてるじゃなくて何かのバンドの付き人(ボーヤ=今で言うローディー)だと思っていたらしく、渋谷O-WESTのライブも、なんか見かけたことあるやつがステージに出て来て、ギターとかセッティングしたりしてるけど、次のバンドの付き人なんだろうなあと思ってたら、そのままギター弾いて歌い始めたからビックリした。とか、色々と話をしてくれた。とっくに始発の電車が走り始めていて、お互い酔いと眠気で半目になってる頃にその日は別れた。とにかくも、すごい人に認めてもらって自信になるなあと思って、とても嬉しかった。
さてHUSKING BEEの1stアルバムのレコーディングの話に移りましょうか。活動を始めてからSnuffy Smileからリリースをさせていただいたり、オムニバスのEPに参加したり、SPICE OF LIFEというレーベルからリリースされたオムニバスCD「A SHORT STORY」に2曲参加させていただいたりで制作した曲たちと、新たな曲の計14曲を録る作業が始まった。
そうそう、今思えば、この頃の時点で3人の掛け合わせと言いますか、相性はすごく良かったんだと。レオナは僕の何倍も横浜のバンドを中心に、人との繋がりを持っていたし、音楽の知識や造詣も深かった。テッキンは地元大分で中学生の頃からバンドを組んで活動していた経験もあり、独特なベースラインを生み出す力があった。だからこそ割とハイペースに曲作りが出来たのだと思う。
健さんが選んでくれた幡ヶ谷の“TAKE STUDIO”(現在はSUR SOUND STUDIOという名前に変わっているようです)でレコーディング作業は始まった。エンジニアの谷さんは優しくてとても親切な方だった。
14曲を一気に録音することに緊張していた僕に、「レコーディングはジェットコースターみたいなものだから、スピードがあって目まぐるしいけど楽しいし終わったら爽快感があるよ。」と仰っていた。健さんはギターの録音時に、一回の演奏が終わる度に「オッケー、じゃあチューニングしよう。」と言った。レコーディングでは当然の事ですが、それまでの僕は録音時、そこまで徹底してなかったのでチューニングは必須で大事なのだと勉強になった。
そして僕の演奏テイクが終わる度に、コントロールルームからのトークバックで「イッソン!今の演奏ハッピーだった?!」と聞いてくれた。当時は全く余裕がなくて、正直ハッピーかそうじゃなかったかは、すぐに判断出来ない事のほうが多かったが、レコーディングが進み、家に帰る度に、ハッピーだなあと思っていた。しかし、ボーカルの録音が始まり、限界以上、我武者羅に振り絞るように歌っていた僕は7,8曲を歌い終えた頃に喉から血が出たりして、声が出なくなって数日休みにすることになり落ち込んだ。
そんな僕を元気付けようとしてくれたのでしょう、健さんは空いた時間に「すごく歌いたくなる曲があるからちょっと俺歌おうかな」と録音ブースに行き, “The Show Must Go On” という曲を歌い始めた。谷さんはちゃんとそれをRECしていた。「すげー難しいわ!でも歌うと楽しいねー!」と健さんは笑っていた。声出なくて悲しかったけど、あったかい気持ちになって嬉しかった。
折角なので、その健さんの歌はアルバムのラスト14曲目のアコースティックギターと歌のみの “All Your Life” が終わってから12分くらい経って流れ始める隠しボーナストラックとして収録された。今、ブログを書きながら久々に聴きましたが、めちゃくちゃ面白くて笑える。
あと、そうそう、そのラストの “All Your Life” を録音している時に健さんが、「俺、この曲の後半からアコースティックギター弾いて入れたいんだけどいい?」って言ってくれて、ここでこれ断る人、世界中で誰なん?って思いながら二つ返事で快諾した。
次の日には、速攻で練り編まれた至極のギターフレーズが重ねられ、拙いだけだったはずの曲が、たおやかで伸びやかな曲に生まれ変わった。“Question” という曲にはスタジオに遊びに来てくれた一色紗英ちゃんが可憐なコーラスを入れてくれた。
初めてのアルバム制作は、エンジニアの谷さんとプロデューサーとしての健さんと友人たちのおかげで、ジェットコースターのように目まぐるしい速度で展開し無事に終わり、爽快感と達成感を残した。
アルバムのタイトル「GRIP」の由来は、当時の曲作りや録音時のテーマといいますか、僕の口癖になっていたのが、“心をギュッとグリップで”、だったので。
アルバムのジャケット写真は紗英ちゃんの弟さんがモデルに。自転車のハンドルをGripで。撮影は写真家の菊池茂夫さん。ジャケットのアートワークはSHERBETの岡田洋介。インナーのアートワークはポンちゃん。ジャケットのGRIPの文字は僕が書いた。
様々な方の力添えを得て、出来上がったアルバムは1996年12月12日にリリースされた。
▼1997年頃の写真。
▼当時はPCなどなく、歌詞案も手書き必須。「Walk」の歌詞案。端々に荷揚げ屋のシフトのメモがあるのが生々しい。
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Vol.8:バンド結成に向かって編2
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