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2026.05.07

【磯部正文】HUSKING BEE始動編3

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95年だったか96年だったか定かではありませんが、初めて東京以外のライブハウスへMIDDISHADEとSHERBETと共にツアーをした。
大分(福岡だったかもしれません)と姫路。姫路マッシュルームではSnuffy SmileからリリースをしていたPlaymates(地元が姫路)と共演した。PlaymatesはThe Beatlesな感じで演奏力も高くてかっこよかった。

1996年。HUSKING BEEを始めて2年経ち、音源もリリース出来るようになってきた頃。
ライブやスタジオに入ったりの時間が多くなってきた僕は、吉祥寺のパチンコ屋でのバイトは毎月のシフトが確定出来ないため辞めて、日雇いのバイトや短期のバイトで食いつないでいた。
主にはバイクでのチラシ配り、様々なライブイベントの設営やセキュリティーの仕事、引越し屋などなど。

ただ、それらの仕事も拘束時間が長くてバランスがとれなくなってきて、日雇いでの荷揚げ屋という仕事を始めた。
荷揚げ屋とは、建設現場で重量物の搬入や移動を請け負う作業員の名称。主には石膏ボードの搬入。ステンレスやアルミの軽量材やセメントの袋(40kg)の搬入をする。
始発で千葉や埼玉や東京各所様々行き、とにかく重い物を運ぶだけの仕事。正午くらいには終わるし、余裕があれば1日に2現場行って稼げる仕事だったが、身体は酷使するので滅茶苦茶きつくて、今振り返っても人生で一番辛い仕事だった。
でもそのおかげで、身体が筋肉ムキムキになれたし、その現場で一緒になる人達は、役者を目指しているとか、格闘家だったり、ボクサーだったり、夢を持って頑張っている方が多くて、休憩中に話しても共感出来ることが多々あった。

ちなみに数ヶ月ほど、新宿の高島屋(1996年10月開業)の建設時期に、外壁の搬入の仕事に入っていた。職人さんが壁を貼る為に、一枚80kgある石の板を足場の各所にひたすら運ぶ仕事。倒して割ったら許されぬ&角も欠けたら許されぬ。
神経使いつつも、足場と併設した工事用のエレベーターに板を数枚積み込み、それを上階に上げてから、高所の足場で更に各所に数枚づつ運んで配置するという激務。
高所の足場で、筋肉痛と手の握力を失いつつの休憩中に目の前に広がる東京の街を見渡しながら、わしって、いつまでこんな事するんだろう、と思ったもんだった。
なので是非皆さん。機会があれば、外の石壁の部分はあの人が運んだんだなあって目で、新宿の高島屋(特にTIMES SQUAREの南側)をご覧ください笑。

95年頃から97年初頭くらいまで続けた工事現場での仕事は、ただただきつかった。きつかったけど、ライブハウスに行くのが楽しみで、実際にとても楽しかったから頑張れた。疲れが吹き飛んだ。本当にライブハウスは、心の支えだった。
“Anchor”という曲には、この頃の思いが詰まっている。船の錨っていう意味でもありますが、この曲の場合は心の支え、拠り所って意味です。

そういえばちょうどこの頃に、僕のあだ名は「とっつぁん・とっさん・とつ」から、変化をしていくこととなる。
僕のことをたった一人だけ、イッソンと呼ぶ女友達がいたのだ。少しの期間、その女友達だけが呼んでいた。HUSKING BEEの1stアルバム「Grip」が発売されてからのリリースツアーで9箇所廻った時に、自分のことを、イッソンです、と自己紹介したことは一度もないのに会場に集まってくれた人たちが、「あ!イッソンだ!」って言ってることに驚いた記憶は忘れられない。
あの女友達だけが呼んでたのに、なんとなく徐々に周りに広まってはいたものの、雑誌のインタビューで他のメンバーが発した、「イッソンは何々で〜」とかの発言が記事になり、その記事を読んだ人達にインプットされて、ほぼみんなイッソンと呼んでいる凄さ。あだ名が知らぬ間に全国区になった…。当時はインターネットも携帯電話もない時期だから、ほんとに驚いた。ちなみに30年以上音楽活動しているなかで、どんな媒体でも一度も“HUSKING BEEのボーカル・ギターのイッソンです”、と自己紹介したことはない。

そうそう、上記の1stアルバム「Grip」に至る話に、触れる段階にきましたね。

当時の周りのバンドたちは、共演目的・リリース目的など、様々な目的を持ってデモテープなるものを作って、機会があれば先輩バンドや好きなバンドのメンバーや、レコードレーベルの方に渡すということが多かった。
何故か僕らは一度もデモテープを作らずに、ライブ活動を続けていた。本当はHi-STANDARDのような志の高いバンドに興味を持ってもらいたいとは強く思いつつも。そしてその頃、頻繁に共演することが多かった横浜のバンドSHERBETがHi-STANDARD難波くんのプロデュースでアルバムを作るらしいって噂も耳にしていた。

そんなある日、渋谷GIG-ANTICで自分たちのライブがあった。なんだかHi-STANDARDの健さんが来てるらしいと、周りがざわついていた。僕は、神が来とるんか、、と思っていた。ライブが終わり、GIG-ANTICの外にいたら、健さんがいるのが見えた。神おるわ、、と思っていた。すると、健さんが僕の目の前まで来て、
「イッソン、あのさー、ハスキンのアルバム、俺プロデュースで作りたいんだけど、どう?」と、訊かれた。
神がなんだかわしに向かって喋ったしなんかすごいこと言った。と思った。
後に健さんがその時のことを振り返っての話をしている時に、 “俺がプロデュースしたいって言っても、イッソンは何にも答えないから、あー俺のこと嫌いなのかなあ、ダメなのかなあと思った。”
と仰っていたが、んなわけなくて。目標のバンドの神だったから、何て返していいのか分からなくなって、うまく言葉が出てこなくなって、ハグハグしてしまっていただけなのだ。
「よろしくお願いします」っていう返すべき言葉さえも、その場では言えなかったが、もちろん、アルバムを一緒に創る方向で話は進んだ。

その日の後から、じわじわと漲った。色んな感情が押し寄せて、とあるメロディーが沸き起こった。何日もずっと頭の中で流れた。そのメロディーの曲のタイトルは自分の中ですぐ決まっていた。当時、LOVEMENという先輩バンドがいて、そのバンドの「Walk」という曲が大好きだった。
そして1989年結成のイギリスのメロディックパンクバンドのCHINA DRUMの1stアルバム『Goosefair』のなかの「Walk」という曲が、同じく大好きだった。僕もいつか「Walk」ってタイトルの名曲を作りたいと思っていたのだ。
当時、今でも親交のある友人に、「今、こんなメロディーの曲作ろうと思ってるんだ。」と言って、多くの人が行き交う新宿の南口の改札辺りで歌って聴かせて、友人が困惑顔で「そうなんだ、頑張ってね。」と言って別れたのをよく思い出す。

それでは次のブログでは、その1stアルバム「Grip」のレコーディングのこととか思い出しつつ進めようと思います。


▼1994年1月。旧新宿ロフトでのNOFX初来日公演。Gtのエリック・メルヴィンと。メルヴィンの隣は、僕にハードコアやパンクの世界を教えてくれた同級生M。





▶ARCHIVE
Vol.10:HUSKING BEE始動編2
Vol.9:HUSKING BEE始動編
Vol.8:バンド結成に向かって編2
Vol.7:バンド結成に向かって編1
Vol.6:上京編2
Vol.5:上京編1
Vol.4:広島〜高校時代編4〜
Vol.3:広島〜高校時代編3〜
Vol.2:広島〜高校時代編2〜
Vol.1:広島〜高校時代編〜



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