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2026.02.02

【佐藤ルミナ】ルミナのROOTS「木口道場の門を叩く」

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〜木口道場の門を叩く〜
修斗の可能性にすっかり取り憑かれた高校時代。
家では友人や2つ上の兄と一緒に、畳の部屋で 『藤原喜明のスーパー・テクニック』 を教科書代わりに、関節技の練習(笑)。
サンドバッグも購入し、木造のボロ家の梁に単管を無理やりくくり付けて吊るしていました。 今思えば、家が壊れなくて本当によかったです(笑)。

学校帰りには格闘技雑誌を読み漁り、知識を素人なりに必死で叩き込みました。 同時に筋トレも我流でスタート。
3年生の時には、近所のボクシングジムにも通い始めました。
とにかく 「強くなるために出来そうなことは全部やる」 そんな感覚でした。

同じく格闘技好きの友人たちと、休み時間になると教室や廊下でキックミットを持ち出して練習。 当然のように先生に怒られていました(笑)。
そんな様子を見ていた体育の先生からは、 「お前は常に他の人と違う動きをしている。将来は運動に関わる仕事がいいんじゃないか」 と言われ、体育教師の道も勧められました。

「とりあえずプロで引退した時のために、教員免許だけでも取っておこう」
そう考え、体育学部のある 日本体育大学、東海大学、国士舘大学 を受験します。
……が、大学受験は まさかの3校すべて不合格(笑)。 こうして、仕方なく浪人生活がスタートしました。

ちょうどその頃、格闘技雑誌に載っているわずかな情報を頼りに、 家から一番近かった名門 「総合格闘技・木口道場」 に入門することになります。
当時は、まだ総合格闘技(MMA)という言葉すら一般的ではなく、 実際に「総合格闘技を教えているジム」は、日本全国でも20もなかったと思います。
木口道場は、レスリング出身の 木口宣昭先生 が主宰するジム。
もともとは、ちびっ子向けのレスリング教室からスタートしたそうです。
修斗第一号ジムである スーパータイガージム で 選手にレスリングを教えていた繋がりから、 木口道場にも修斗クラスが増設された―― そんな経緯だったと記憶しています。

〜入門初日〜
小田原から小田急線で鶴川駅へ。 そこからバスで「こどもの国」行きに乗車。
バス停で降りたはいいものの、見事に迷子。 なんとか辿り着いたのは、 個人の敷地内に建てられたプレハブ小屋 でした。
大きな看板も目印もなく、 「本当にここで合ってるのか……?」 と、かなり不安になったのを覚えています。
その日は確か、土曜日のレスリングクラス。 小・中学生が中心で、そこに趣味でレスリングをやっている一般の大人が数名混ざっている、 そんな雰囲気でした。
アットホームな空気感の中に漂う、独特の緊張感。 初めて体験するその空気に圧倒されていると、 そこに 当時、女子レスリング界の超新星として注目されていた山本美憂選手 の姿が。
テレビでよく見る有名人を目の前にして、 少し緊張しながら挨拶したのを今でも覚えています(笑)。

忘れもしない衝撃
木口先生に格闘技経験を聞かれ、 「高校時代に少しボクシングをかじってました」 と答えた瞬間――
先生、ニヤッとしながら一言。
「じゃあ、歌ってみろ!」
僕「……え?」
先生 「ボク“シング”(SING♪)!!」 「ガハハハハハ!!」
もの凄いドヤ顔。 この時の光景はいまでも強烈に脳裏に焼き付いています(笑)。
木口先生については、思い出も伝説も多すぎるので、 また別の機会にじっくり書こうと思います^^
そんな木口道場で、 修斗クラスとレスリングクラスに 片道2時間 かけて、週2〜3回通う日々。
そして翌年、1浪で 日本体育大学 体育学部 に合格します。

時代は団塊ジュニア世代。
大学では、どの大学でも新入生に対するクラブやサークルの勧誘がとにかく激しい時代でした。
「修斗の足しになれば」とレスリング部に入ろうとするも、 勧誘は一切なし。
それもそのはず、 日体大レスリング部は日本トップの名門。 オリンピックを目指す全国の高校王者たちが推薦で集結する世界で、 一般人を勧誘する理由がありません(笑)。

それでも何とか入れてもらい、 「なんか変なの来たな〜」 という空気の中、朝の走り込み以外はほぼ別メニュー。
マットの端っこで、優しいOBの方に たまにレスリングの基本を教えてもらう、そんな立場でした。
結局、学業と部活で修斗の練習時間が取れず、夏には退部。 それでもその後、プロになってから出稽古させてもらったりと、 レスリング部には何だかんだでお世話になりました^^
同期(1浪なので年齢はひとつ下)の 豊嶋孝尚、そして 多田尾秀樹 は、 卒業後にアマ修斗を経てプロに。
豊嶋孝尚は、今やジム代表として、そして修斗プロモーターとして 中四国の格闘技シーンを支える存在に。
レスリング部を辞めた後は、 小田原から木口道場と大学の近くに拠点を移し、 木口道場同期の秋本じんさん とルームシェア。
完全に修斗中心の生活へと切り替わりました。
当時の木口道場は、今のジムとはまったく違っていました。 まだ「格闘技で生計を立てる」という発想自体がほとんどない時代。
おそらく、ジム経営のこともそこまで考えられていなかったのではないかと思います。 とにかく、自分たちが本気で練習するための場所。 それが木口道場でした。

練習はかなり厳しく、ライト層のことは一切考えられていない環境。 だからこそ、本気の人間しか残らなかった。
K-1ブームの影響で格闘技ブームの兆しは見え始めていたものの、 入会者は来ては辞めていく。その繰り返し。
そんな中で残った同期の仲間が、 秋本じん、巽宇宙、佐藤稔之(ニックネーム:和道)。
4人とも全員がプロ志望でした。 同じ覚悟を持っていたからこそ、自然と強い結束が生まれました。
出稽古にもよく行きましたし、海外武者修行にも挑戦しました。 あの時代、あの環境でしか生まれなかった関係性と経験だったと思います。

毎日のように、まだ未発展だったMMAの技術について 「あーでもない」「こーでもない」と議論しながら研究。
「この技、使えるんじゃない?」 「この入り方アリじゃない?」
そんな会話を延々と続けていたのを、今でもよく覚えています。
今のようにメソッドが確立されていない時代だったからこそ、 すべてを自分たちで考え、試し、作り出していく過程 がありました。
その試行錯誤の時間が、 何よりも楽しくて、何よりも刺激的だった。 最高にストークできた時間だったと思います。
サーフィンの先駆者たちも、きっとこんな感覚だったんだろうな、と。 まだ誰も滑っていない波を探し、新しいポイントを開拓していく喜び。
誰かに教わるのではなく、 自分たちで見つけ、試し、体で覚えていく。
あの頃のMMAは、まさに 『エンドレス・サマー』の世界観でした。

※お知らせ※
只今発売中の雑誌 『ゴング格闘技』40周年記念特集 にて、 鈴木千裕選手と対談 させていただきました。
MMAの歴史、お互いがMMAを志した原点、 そして、これからの格闘技界について――。
かなり踏み込んだ、読み応えのある対談になっています。
混沌とする格闘技業界が、これからどこへ向かうのか。 最近MMAに興味を持った方にも、 オールドファンの方にもおすすめです。
ぜひチェックしてみてください。


写真は、木口道場に入門して半年くらいの頃のものです。
よく見ると、後に五輪レスラーになる 笹本 睦 や、美憂の妹・聖子ちゃん(ダルビッシュ聖子) の姿も写っているので、ぜひ探してみてください^^





▶ARCHIVE
Vol.2:ルミナのROOTS「なぜ自分がMMAを始めたのか」
Vol.1:ルミナのROOTS「1997」



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