PITPRESS
PITPRESS
ゲストさん

新規登録

ログイン

NEW

2026.01.26

【磯部正文】上京編1

  • BLOG

僕が高校を卒業した1991年、平成3年は東京都庁が西新宿に開庁、港区芝浦にジュリアナ東京がオープン、大相撲で同い年の貴花田が最年少大関に昇進し、広島東洋カープが地元でセ・リーグ優勝を決め(この年から24年間、優勝から遠ざかることになる)、宮沢りえの「Santa Fe」が話題をさらい、ゲーム機はスーパーファミコンとゲームボーイが主流な年だった。

広島市南区民文化センターで、高校の卒業生主催の卒業ライブを終えた春から、いざ上京を目指すべく、バイトばかりする日々が始まった。
並行して、もう91年の何月だったか覚えてませんが、東京の大学への進学を目指したものの一浪することになったMと、のちに東京でNOBODYS/ The Dudoos等のバンドで活躍することとなる、同じく一浪することとなった大下直樹,a.k.a NAOKIDZ(皆実高校で別のクラスだったが仲がよかった)と共に、東京へ下見を兼ねた小旅行をした。(以降は大下直樹のことを大(おお)ちゃんと記します)

まだインターネットもなく、「Fine」「宝島」「DOLL」などの雑誌の情報を鵜呑みにするしかなかった時代。
どうやらスケボーやるのが音楽とも密接に繋がってるみたいだし、格好いいみたいだわと思い、原宿にある「STORMY」「ムラサキスポーツ」に行ってみた。朝方に都庁を見に行って「こりゃすごいのう」って高いビルを見上げたり、渋谷にはチーマーがうようよいると思い込んでいたから、ビクビクしながらセンター街を歩いて、全然いなーい、というより人多すぎと思ったりした。広島のとうかさん大祭やフラワーフェステバル並みに、渋谷には毎日人が行き来しているのだと分かった。

同級生Mとはその頃、レコード屋に一緒に行って、USコアとジャンル付けされたコーナーでBad ReligionやGreen Day、NOFXやThe Offspringを買って、ぶちかっこええのうとなっていた。メロディーがめちゃ良くて、速いリズムで、曲の雰囲気や構成も最高だと思った。

そして秋が来て、高校の時の同級生数人と広島東洋カープのセ・リーグ優勝を市民球場で見届けた。優勝が決まる数分前に大ちゃんが、外野席の一番上の看板の柱で顔面を強打する自損事故して、優勝が決定して大喜びしている僕らの席に顔面血だらけで戻ってきて、何が起こったのか分からずびっくりしたおまけ付きで。

その数日後、高校の同級生たちに見送られ、その頃は広島から東京までは5時間半かかった新幹線に乗って、同級生たちの手紙を読み読み、涙しながら上京を果たしたのでした。

さあ早速、住む部屋探しだ。当時、現役合格し関東の大学に通っているらしいと知っていた同級生が神奈川の橋本に住んでいて(通っていた大学は知りません)、その友人の家に泊めてもらいつつ部屋探しを始めた。雑誌の情報によると、高円寺は20000Vをはじめとするライブハウスや、古着屋も多くてバンドマンも沢山住んでるらしい。でもなあ、ちょっと高円寺から外れた辺りが良さげだわと、いざ吉祥寺へ。いざ不動産屋IN。

「すみませーん。部屋探したいんですけどー。」
『ん?何歳?学生さん?』
「19歳っす。大学とかは行ってないです。」
『えーっと…働いてるの?』
「まだ働いてないです。部屋決めてからバイト探そうかなと。」
『えーーっと…東京に連帯保証人っているの?親とか親戚とか。』
「連帯保証人(初耳)…? 親は広島に居ます。親戚は東京に居ないです。」
『ちょっと申し訳ないけど、そんな人に貸せる部屋はないよ。ちなみに東京に何しに来たの?』
「音楽やりに来たんです。」
『あのねえバンドマンは家賃滞納して逃げるから尚更貸せないよ。ごめんね。』

このやりとりを20軒近くの不動産屋で繰り返し。あれあれー?なんかやばいな。専門学校とか大学とか行ってないと部屋借りれないんだ…。どうしよう。
ほどなく1週間が過ぎた頃、老夫婦が店主の不動産屋で『こういうとこしか貸せないよ。』と、2万円代の家賃の簡素な小さな紙の賃貸情報数枚から適当に一枚を選び、最寄りの駅は井の頭線の三鷹台から徒歩10分くらいにあった、風呂無し、トイレ共同の4畳半、壁や屋根がトタンで出来た古アパートを即決めした。初めて住む部屋を見た時に、僕の脳内で、かぐや姫の神田川という曲がフルボリュームで流れた。ともあれ、とうとう僕の東京生活は始まった。狭い霧の荘。狭霧荘って名前のアパートで。
部屋が決まり、西荻窪のクリーニング屋でのバイトも決まった。
クリーニング屋のバイトはその後3年くらいお世話になった。

最初に住んだ狭霧荘には、1年ちょっと住んだ。電話機は持っていたのに、部屋に電話を繋ぐ元がないなあと思っていた。広島の友達が東京に遊びに来る時に、ハガキのやりとりで待ち合わせ場所や日時を決めていた。あまりにもそういうやりとりがアナログで苦労するから、部屋で電話を使いたいんですけどと大家さんに相談したら、僕以外に10数人住んでるけど、アパート自体に電話線をひいてないから、誰も電話を使ってないの。どうしても使いたいなら、自費で工事して電話線をひいて。電話は着信音が鳴らないようにして。と言われた。すごいアパートに住んでいるんだと思った。アパートの部屋は壁がすごく薄く、隣の部屋の人の鼻息が聞こえるくらいだった。結局僕は、自費で電話線をひき、着信音を無音に出来るし、留守電を小さいテープに録音できる電話機を買った。すさまじいステップアップしたで、とその当時は思ったんだった。

そうこうしている翌年の春に、僕にハードコア・パンクを教えてくれた同級生Mが都内の大学に、大ちゃんが埼玉の大学に合格し、上京して来た。
関東でMと一緒にライブを観に行きたいなあと思っていたLip Creamは、なんと解散したらしいと聞いて、しばらくはライブハウスに行ってみる機会が失われた。まだ東京にはその2人しか友達がいないので、髪は伸ばしていた。ただ前髪が邪魔で、自分で切っていたし、美容院に行くこともなく、枝毛ばかりの中途半端な感じだった。

1992年はX JAPANが東京ドーム3Days公演を成功し、同い年の貴花田が史上最年少の優勝をし、ミッキー・ロークが両国国技館で猫パンチで勝利し、尾崎豊が亡くなり、ソニーがMDプレーヤー1号機を発売した、そんな年だった。

大ちゃんが通っていた埼玉の大学のキャンバスで時々スケボーしたりするくらいの、ほぼバイトしかしていない状態だったが、その翌年くらいから、じわじわと状況が変わっていく。


続く



▲1992年頃。3人写真の真ん中でスケボーを持っているのが大ちゃん(NOBODYS / THE DUDOOS)。
 なぜか雑誌TVぴあを持って写っているのは、何かの因果かもしれませんね笑。



▶ARCHIVE
Vol.4:広島〜高校時代編4〜
Vol.3:広島〜高校時代編3〜
Vol.2:広島〜高校時代編2〜
Vol.1:広島〜高校時代編〜



▶LINKS
X:@masafumiisobe
Instagram:@masafumiisobe
HUSKING BEE Official Site



▶RELEASE
会場限定販売の新曲4songs入りCD
「Primary Colors」2025/11/29リリース

▶LIVE
・『SKULL SKATES NIGHT』
 2026/1/31(土)SHIBUYA THE GAME
 w/ COKEHEAD HIPSTERS,COCOBAT,DUB4REASON

・『モルタルレコード25thアニバーサリー公演
 HUSKING BEE x ASPARAGUS x SATURDAY GOOD-BYES 3MAN SHOW!!』
 2026年2月1日(日)熊谷HEAVEN'S ROCK VJ-1

前へ   次へ
pagetop