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2025.11.29
【日下部司】東京JUDGMENT NIGHT
- BLOG
自身のライブやDJ活動など淡々と行う中、COCOBATやNUKEY PIKESなど他ジャンルのライブにも友達と行く様になった92年、当時のストリートはその人の好きな音楽とファッションがリンクしてる事が多くて、僕もバリバリのOi!マナーなMA-1とDr.マーチン11ホールを脱ぎ捨て、40インチのDICKIE’SにバンドTシャツとネルシャン、そしてスニーカーのラフなストリートスタイルへ徐々に変わっていき、当時PUNK/HARD COREやSKA/ROCK STEADYだけだった小僧が、色々なライブハウスやクラブに行く様になりGround BeatやHipHop、特に当時R&Bの中でもHipHop Soulと呼ばれたサブジャンルや、NYCのDance Hall reggaeのHipHop ver.などの黒い音楽なレコードを毎週渋谷でチェックし始めたCity Boy気取りな22歳な僕。
当時のメジャーなクラブと言えば、駅からメチャ遠かった芝浦の大バコ『GOLD』が有り、ライブを観にもよく行ったインクスティック芝浦や老舗の西麻布ピカソ、2フロアが新しかった渋谷の『CAVE』などなどなど…、その中でも新宿『MILOS garage』や渋谷『DJ bar インクスティック』での曜日でジャンルの違うレギュラーイベントなどが楽しみで良く遊び行ってたし、渋谷インクスティックに至っては通い過ぎてスタッフと一緒に賄いも食べさせてもらった事も。ファッション学校の学生イベントなども盛んで、集客もメチャクチャ有り友達と夜な夜な遊んでたなぁ。もちろん当時から大貫さんのロンドンナイトには遊び行ってて、そこでバウンティーハンター のヒカルさん、元LONDON NITE DJで現在はTattooアーティストのアッくん、まだSHAKKAZOMBIE前のヒデボウ、既に人気者だったコークヘッドヒップスターズの小松君、MILK COW Vo.のTSURU、元DEVILOCK/GMF Vo.の遠藤などなど、今でも繋がりある大勢の大切な仲間と友人に出逢えた場所でしたね。
それまで聴いてた日本のHARD CORE PUNKのLIP CREAMやSIC、S.O.B.にOUTO、アメリカのBad Brains、DEAD KENNEDYS、7SECONS、 BLACK FLAG、S.O.D.、Suicidal Tendencies、NYHCのSICK OF IT ALLにGorilla BiscuitsやYOUTH OF TODAY、オーストラリアのHard ons、オルタナ系のレッチリやFaith No More、MUD HONEYや NIRVANAのグランジ、anthraxやPANTERAにSLAYERのスラッシュメタル、ゴリゴリROCK好きも好きだったBeastie Boys/Public Enemy/N.W.A./Cypress Hill/House of Pain/Run-D.M.C./ONYXなども同時にチェックしつつ、そしてRage Against the MachineとSnoopが出現と、とにかく時代なのかPUNKやHARDCOREだけでなく、HIPHOP/R&BやDANCEHALL REGGAEでもターニングポイントとなるアーティストや曲がメチャクチャ多かった92/93/94年のGOLDEN AGE。
僕らの周りだけ??なのか、激しく強くハードでジャンルも軽々超えた音を当時は求めてた流れ?があり、僕も激しくハマってた中で急に僕の前にも出てくるんですよねぇ、メロディックなUKのSNUFFやLEATHERFACE、アメリカのBad ReligionやNOFXが!
そりゃもうゴリゴリばかりな僕の脳内プレイリストにはチョー新鮮に聞こえまくるのよ。
ライブハウスや東京のクラブでもメロディックなHARDCORE(略してメロコアとかエモコアなど)を専門とするDJがクラブプレイすると、クラブ内でもサークルモッシュが始まりメチャクチャ盛り上がるって小さなシーンが出来てきた!
大貫さんのKEN ROCKS主催『GAREGE LAND』が有って、毎回遊びに行ってたヒカルさん主催『MOSH BOYz』が1993年に始まったりと、バンドとDJが一緒に共演するオールナイトイベントが徐々にシーンの主流となっていき、そんな時代に僕と遠藤が中心となってライブハウス『新宿ANTIKNOCK』で始めた『ENTER THE DRAGON』ってオールナイトイベント始めたりと、今思えばオールナイトなのでそもそも集客が少ない上に、内容も手探りでメチャクチャなイベントでしたが演者はもちろん、ネットの無い時代にフライヤーの紙切れ1枚で遊び来てくれたROCKが好きなお客さんは、小さなシーンのライブ現場を体現する為にメチャクチャ気持ちが熱かった気がするなぁ。
小学生時のアナーキー/THE MODSから始まり、日本のHARD CORE PUNKに初期PUNKからUK HARD CORE PUNK、アメハにNYHCやミクスチャーもグランジも経て、アメリカのHIPHOP/R&BやDANCEHALL REGGAE、終いにはHOUSEや四つ打ちまでと、お金は無いが時間と気持ちと探究心だけはタップリと有る20代前半、貪欲に聞きまくり超クロスオーバーな時代に突入した1993年。
ニューキーやCOKEHEAD HIPSTERS、ココバットにBEYONDSなど、今までとは違ったアプローチで音を出すバンドが出演するライブハウスやクラブに、如何に関係者ズラして潜り込み遊んでいた中、海外バンドの影響か東京でも徐々にメロコア系と呼ばれるバンドがチラホラ認識され始め、そして長かったライブハウス暗黒時代に明るい兆しが遠くでチラッと見えたり見えなかったりと、そんな東京JUDGMENT NIGHT!!!
次回は『僕たちの等身大GOLDEN AGE』に続く…
✴︎当時DJや遊びに通ってた『MILOS garage』5周年記念イベントのフライヤー。 D.C.Hってバンド名でLIVE出演した記憶が
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Vol.2:華やかな東京ナイトクラブ×暗黒時代のライブハウス=The ‘90s 東京ストリートカルチャー
Vol.1:音楽×洋服=The ‘90s 東京ストリートカルチャー
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