2025.11.13
【日下部司】華やかな東京ナイトクラブx暗黒時代のライブハウス=The ‘90s 東京ストリートカルチャー
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前回の『音楽x洋服=The ‘90s 東京ストリートカルチャー』はどうでした?
僕の偏った主観での当時の東京ストリートの話なのでメチャ気楽に読んでもらえればと。
では2回目もチョー個人的主観な1990年初頭東京ストリートカルチャー、ライブハウスとクラブの話を中心に伝われば幸いです。
19歳から専門学校(バンタンデザイン研究所)に通う為に東京に住み始めた。
1980年中期から続く高校クラスのほぼ全員がロック聴いてたんじゃないか?的な日本のバンドブームにも陰りが見え始めた1990年、それに台頭し盛り上がってたのが1970年代から続く一般的なユーロビート中心なディスコとは違う、こだわった選曲と音楽ジャンルやそのDJやバックボーンなど、音楽とそのファッションやカルチャーが強く結びついたクラブ文化が気になり始めたトンガリキッズ時代に、夜な夜な東京のライブハウスやクラブに通い始め、友達や知り合いが増えてきた20歳?の時に、バンタン友達の紹介でOi! Punk/SKINHEADバンド『Bull The Buffalos』に加入。
学校に通いながらも寝る暇を削りながらも毎週新宿と渋谷にレコードチェックに通い、PUNKやSKA/ROCK STEDYのマネごとDJしたり、毎週水曜日はスタジオに入り年に数回のライブを行う、小さいながらも楽しいバンド活動がスタートした、未だウブでヒョロヒョロだったツルツル学生時代。
当時ライブの対バンもOi!やPUNK系が多く男臭かったライブ活動、当時のお客さんの中には後に『ヌンチャク』のボーカルになるクニや、『氣志團』ドラマーで活動してた雪之丞などもゴリゴリに遊びに来てたりと、少ないながらも和気藹々な可愛がりで盛り上がっていた?当時ホームだったライブハウス『高円寺20000V』。
そう、ブームとは恐ろしいもので、今まで何処にも大勢いたbootsやラバーソールを履いたKid’s風がピタッとライブハウスに来なくなり、チケットノルマがクリア出来なかった自分たちライブ出演バンドは、不足分を各メンバーで出し合う日々が続いた91~92年、人はそれを『ライブハウス暗黒時代』と呼び始めた。
そんな草の根活動を続ける中で他ジャンルからも対バンのお誘いが来るようになり始め、それは突然Oi! PUNKな僕の目の前にやって来た。
そう『NUKEY PIKES』だ!!!
PUNKファッションが正義だった高2に訪れたskateブーム以来の衝撃だった三茶ヘブンズドアでの『Neo Hardcore Tail』
立ってない髪型にサンタクルーズのTシャツ、ハーフパンツにスニーカーでUSノリなHARD CORE/ミクスチャー系の音楽、曲のブレイクでのメンバーのジャンプやアクション、絶妙なカバー曲の超絶アレンジ!
小さいライブハウスでもメチャクチャ盛り上がってるお客さんのステージダイブとサークルモッシュ、そして英詞!しかもみんなSKATEしてる!!!
今まで僕がライブハウスで体験した酒とダイエースプレー臭い楽屋や、ボコボコなパンチ合戦やガチンコな可愛がりとは違い、本場US Hardcore(当時はアメハと呼んでた)では無い日本のバンドで演者とお客さんの距離感が絶妙に近く、そこには今までの現場では体験した事が無いカラッと熱く激しく、ルールの中にも超絶刺激的なアンダーグラウンドなライブハウスの別空間が存在してた。
当時の主流だったOi!やPUNK/HARD COREシーンとは違った東京UNDER GROUNDに出会った司青年、次回はもっとクラブシーンとライブハウスシーンが混沌とグチャグチャに混ざり合う『東京JUDGMENT NIGHT』へ続く。。。
▼ARCHIVE▼
Vol.1:音楽×洋服=The ‘90s 東京ストリートカルチャー

