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2025.10.31
【井口秀浩】BACK 2 DA ‘90s - Track 2 -
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1990年3月、平成元年度に高校を卒業をし、とにかくバンドがやりたくて進学の事なんか1ミリも考えていなかったボクですが、両親と担任のススメで面接受けるだけで入れる音楽の専門学校に入れられた. . . 。
エンジニアの勉強が出来る学校で、音楽好きの面白い奴らが沢山いるのかな. . . と、全く通う気が起きない中にもチョットだけ期待をしたんだけど、隠キャ的バンドマンみたいなツマラナイ奴等ばっかで、入学早々行かなくなった. . . 。
とはいえ実家から通ってたから親の手前、朝には学校行くテイで家を出て電車に乗り、後楽園にあった学校の前までは行くんだけど結局素通りでそのまま真っ直ぐ歩いて上野のアメ横の古着屋をグルグル回ったり、上野動物園の猿山を一生見てたり、高校2年生の時に結成してやっていたバンドのドラムが西武池袋線の東長崎駅に住んでて、家の鍵をかけずに会社に行く事を知ってたので、勝手に潜り込んでレコード聴きながら本読んだり飲み食いしながら夜まで暇を潰してた。。。
17歳当時オリジナル曲を演る自分のバンドを作るべく、パンク雑誌の “ DOLL “ や “ バンドやろうぜ “ っていう如何わしい雑誌の終盤の白黒ページにメンバー募集のコーナーがあって、そこに応募した。
「当方ウッドベース。ロカビリー、ピュアロカ、50s、バディーホリー、エディーコクランetc… ギター、ドラム、ピアノ募集! 」みたいな記事を載せてもらい、連絡先は実家。
連絡くれた何人かに会ってはみたけどピンと来なく途方に暮れていると、一通のハガキが届き「 こちらギター兼バンジョー、ドラム、ピアノ兼アコーディオン。ウッドベース探してます!連絡下さい!! 」的な文章にちょっと惹かれ、書いてあった電話番号に連絡してみたら大きめなBGMが騒がしい中、チョット酔っ払った感じの男の声で「 連絡ありがとう!俺達もバディーホリーとエディーコクラン大好きでさぁ〜っ!今度新宿のアルタの前で待ち合わせして話そうよっ! 」とトントン拍子に話が進み、待ち合わせ当日のアルタへ向かった。
ボクはMA-1にバーガンディーのボーリングシャツとLONSDALEのメッシュキャップ、LEVI'S 501のリジットにCHIPPEWAのエンジニアブーツ、そしておしりのポケットにはCREAM SODAのコームを刺し、手には目印の “ ぴあ “ を持って待っていると、こちらをジロジロ見てくる細身のVゾーンが浅い三つボタンのトニックスーツに前髪パッツンでもみあげを長くした、所謂モッズスタイルの小柄な男。
. . . こいつではないよなぁ〜っと何気なしに見てみると、手には “ ぴあ “ っ!
まさかなぁ. . . と思っていると「 井口君ですか? オレこの間電話で話した〇〇ですけど! 」と. . . 。
絶対嘘じゃんっ!バディーホリーもエディーコクランもっ!?
心の中で絶望していると「 もう少しでギターの奴も来るから喫茶店に入ってよう! 」と言われ、お茶しながら待っていると. . .
「 お待たせっ! 」
の声に振り向くとそこには、細身のVゾーンが浅い三つボタンのトニックスーツに前髪パッツンで、もみあげを更に長くしたチョット背が高くなったクローンが立っていた。。。
こりゃダメだと思って軽く話を合わせて早めに切り上げようと思ってたら、これがこれが音楽の話が面白い方向に進み、思考が合致してバンドを組む事になった。
とまぁ、このブログは90年代がテーマだっていうのに、その前段の80年代後期の話をしてしまいましたね. . . 。
次回は90年代に辿り着ける様に頑張ります。。。
井口 “ IGNITION MAN aka ヒデボウイ “ 秀浩。
推定17歳のワタクシ。
17歳で結成したOLYMPICS

