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2025.10.22

【TGMX】EVERYDAY SUNSHINE -02-

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あっという間に季節が変わっていきますね…

本ブログのタイトルは、敬愛するバンドFISHBONEの曲タイトルから頂きました。
「毎日、サンシャイン」本来の意味はわからないのですが、言葉の持つ力がハンパなく、
曲自体も最高ですし、「毎日楽しく過ごせたら…」とは全人類の共通の願い。
このブログを読んで頂き、少しでも90年代を思い出して、知って楽しく思って頂けたら最高だなと。

なぜ僕が90年代を充実して過ごせてきたか、
理由は「SCAFULL KING」のおかげで、他ではありません。
バンドの結成至った経緯をここで初めて話します。

すべて僕目線ですが、
90年代に特化したこのブログを書くにあたって、少しでも僕らのバンドのことを知っていただけたら嬉しいです。


高校の同級生、TDC(DR)、シュウちゃん(SAX)、コバヨウ(TB)、大門くん(BASS)で
1991年頃に始まり、新宿JAM、下北沢屋根裏、下北沢251辺りで適当なライブ活動をしていました。
バンドマン友達も90年初頭にはあまりいなく、ブッキングで知り合ったり、ライブハウスの方に繋げてもらったりとそんな感じで、当時は携帯などはなく、ギリでポケベルか良くてPHS。なんだそれは?な時代ですが、それでもなんとか交友関係が少しずつ広がっていきました。「友達の友達はみんな友達~」みたいな世界。

ライブが終わると、どこからともなく出演者、関係者がやってきて、外でビラやステッカーを配り合い、コニュニケーションをとる。プリミティブな活動が全盛。
あの場所、あのライブハウス、あのイベントに行けば、あのバンドの人達がいる、とかの時代。
で、特に約束や待ち合わせもせず、携帯やSNSがなくともなぜか集まれていた。

当初のSCAFULL KINGのライブは、当然カヴァー曲ばかり。最古のオリジナル「IRISH FARM」があったかな~?くらい。
THE SPECIALS 、FISHBONE 、TOY DOLLS 、RED HOT CHILLI PEPERS、MANO NEGRA 、THE POGUESなど、あらゆる好きな洋楽バンドのカヴァーをして楽しんでました。
お客さんなどは当然いません。メンバーの彼女と対バンの方々がフロアにポツポツいるくらい。
チケットを音楽好きな友人に売りつけ(笑)ノルマの金額に達成できなければバンドで支払うような活動。
ノルマ、スタジオ代など経費的な部分は僕らは6人組だったので、そのあたりは楽だった。
それでも、学生、バイト生活の僕らに大きくのしかかり、ライブチケット安くしてでも友人に買ってもらったり、狭いスタジオで時間ギリギリまで使って練習していました。
田舎出身の僕らは試行錯誤しながらなんとか曲をつくり活動し、現在のDIWPHALANX から初めてのリリースのお誘いを受けながらも、メンバー間の方向性がまとまらず、COKE HEAD HIPSTARS 、toeの山ちゃん在籍のSMELLING CUNTSとの新宿LOFTでのライブを最後に一度、解体に。(1995/8月)
最後にデモテープを販売し、特に発表もなく動きが止まる。

そこから数年は、結成当初のSNAIL RAMP、コールタール等のホーンサポートはじめ、知り合いのバンドのレコーディングに参加などで過ごし、たくさんのライブにも出向き、今でも繋がっている友人バンドマンにたくさん出逢うことがこの時期にできた。
高校の後輩、ケンジが卒業と同時に上京して即加入、同時に大学の同級生アキラが加入。
4106と下北沢で出会い、SCAFULL KINGを再始動させるに至れた。

リリースを待ってくれてたディスクユニオンのスカボスの大塚さんに相談。
1997年に初音源”Sensationl”を12inchアナログ限定で発売。
これは敬愛するFISHBONEが12inchデビューだったので真似ました(笑)
僕らの予想を越えビビるくらい大反響で、当初2000枚限定を急遽3000枚に変更して拡売。
それでも即完売。ありがたいと同時に、激流が始まった。
1997年末には1st “SCANDAL!” を発売。
ライブ嫌いだった僕らは今では当然の「レコ発」すらやらなかった。

1999年SAXのシュウちゃんがback drop bombに専念すべく脱退。NARIが加入。
何度もデモ制作を繰り返し「SCAnation」をなんとか発売。
当時はあまりなかった大型フェス、イベントに誘われ出し、初の自主ツアーに出向く。

2000年「SCAtegory」発売。この頃になると知ってくれている方が全国的に増えた感覚がありました。
2001年1月から活動休止状態。
間違いなく90年代のバンドだ。
活動しなくなった明確な理由がひとつドンとあったわけではないのですが、
休止状態を言い出したのは僕で、その当時の僕の心情、考えをメンバーに理解してもらった。
当時はインターネットもそんなに普及されてはなかったので世間には何のアナウンスもしませんでした。
中には「社会性を感じろ!」とか言う先輩バンドマンもいたけど、
最初からそんなつもりでやってないバンドには責任感はなく、良くわからなかったし、自分らのわがままなペースでやりたいと強くのぞんでいたはず。
恩師である大塚さんにも「なんでも良いから1枚だけリリースしてから休まない?」
の熱意にすら反して、それから数年、音楽活動全くせず遊び呆けていた。
僕の中で一区切り着いてしまったのだ。
とはいえ、創作意欲が時間経ることにまた出てきて、TDCとケンジでSCAFULL KINGと全く違うアティデュードで実験的な音楽を作るべくFRONTIER BACKYARDを2002年くらいから始めた。
スキャフルのために始めたわけではないが、スキャフルは解散もしておらず、忘れてもいませんでした。
先輩ミュージシャン、chabe氏に誘って頂きCUBISMO GRAFICO FIVEなどで音楽活動し、
スキャフルでは経験出来なかった事を沢山させて頂いた。

2007年頃には、デビュー10周年という年もあって限定的に活動をしました。
その後ずっと、たまにやる牛歩活動(死語)で、年間に0から5、6本のライブ活動し、
なんとか続けて現在に至りました。
21世紀に入りざっくりとしたバンド遍歴しかないバンドです。
作った新曲はわずか3曲。(2011年にシングルリリース)

その長い年月の中でメンバーチェンジ時期もありましたが、
今年2025年は活動が少し増え、シングルを発表出来るまでに至れました。
メンバーの士気は当然ありきで、
個人的にスキャフルの立ち位置、あるべき姿が見えた気がしたので、
前向きになれたのかもしれないと思ってます。
(ですがこのままのペースで続くかは誰にもわかりません…)
今はスキャフル以外の仕事や、別バンドをしたり、
それぞれの人生の目標に向かって個々がバランスもって生活していて、
このバンドはメンバーのバンド愛のみで、かろうじて存続出来ていると言う感じかもしれません。
もちろんライブサポートメンバーのバンド愛も重要で、
bassのIKKE 、saxのcross youと、
楽しく90年代のオールドスクールな曲を演奏しています。
僕自身も今ではスキャフルが大好きです。

僕の大切な20-30代、90年代を現在に繋げてくれた大切なバンドであり、
そこに大切なメンバーがいたと言うお話でした。






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