【坂入健司郎 コラム】第九

2022.11.01

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第九

あっという間に、今年も残りふた月となりました。年末のクラシックといえば…



第九!



「喜びの歌」で知られる第九は、12月に入ると各地で素晴らしい演奏に出会えることができます。
そんなコンサートに足を運んでもらう前に、そもそも第九はどうして日本でこんなに人気になったのだろう?というところから今回は紐解いていこうと思います。

▼そもそも第九って?
「第九」という略称で親しまれている本作の正式名称は、ベートーヴェンが作曲した交響曲第9番です。
楽聖とも名高いドイツの作曲家、ベートーヴェンが遺した最後の交響曲は、管弦楽(オーケストラ)だけで演奏されることが多かった交響曲に合唱を加えた当時にしては前代未聞の大編成交響曲でした。
初演は晩年のベートーヴェンが指揮を執りましたが、すでに耳がほぼ聴こえない状態でお客さんの大喝采の声も聴こえないほど。それでも、初演は熱狂的な成功を収めました。
ちなみに…
ベートーヴェンはこの第九を最後にこの世を去りましたが、その後に活躍している作曲家も交響曲を9番まで書いて亡くなるケースが多く、ドヴォルザークやブルックナー、ヴォーン・ウィリアムズなどなど…たくさんの作曲家が「交響曲10番」を書くことなく世を去っています。
そのジンクスを恐れた作曲家・マーラーは、9番目にあたる交響曲を「大地の歌」として発表しました。
マーラーはその後、意を決して交響曲第9番を作曲したものの、翌年、交響曲10番を完成できないまま亡くなってしまうというエピソードがあるほどのジンクスとなってしまいました。
それほど「第九」は、誰もが越えられない金字塔として、いまなお輝き続けているのです。



▼日本で演奏され始めたのはいつ?
約100年前、日本は第一次世界大戦においてドイツ帝国と戦うこととなり、多数のドイツ人捕虜が日本にいました。
1918年6月1日、徳島県の捕虜収容所で、ドイツ兵捕虜によって演奏されたのが、日本における第九初演といわれています。
これはNHK交響楽団の前身、新交響楽団が1926年に結成される前であり、日本のクラシック音楽受容の歴史の中では、かなり早い時期から親しまれていたことがわかります。



▼なぜ年末に第九なのか?
「年の瀬に第九を聴く」というのはもはや日本では欠かせないイベントとなっていますが、意外にも現在の欧米諸国では頻繁に演奏される作品ではないのです。
たしかにベルリンやウィーンに限っては、12月31日にジルヴェスター・コンサート(大晦日コンサート)で毎年第九を演奏するオーケストラがあるものの、「12月にどこのオーケストラも必ず第九を演奏する」というのは日本独自の文化として根付いていったものなのです。
1940年代からラジオ放送が普及して、NHK交響楽団の第九の演奏が放送されると、全国的に知られる曲となっていきました。
戦後、全国各地でオーケストラが結成されましたが、まだまだ戦後復興期。年越しの資金を得るのに大変でした。
そこで、すでに全国的に知られていた第九を、戦後に盛んになったアマチュアの合唱団とともに第九を演奏という企画が年末に各地で組まれました。
出演するアマチュア合唱団は、家族や知人たちに観にきてもらおうとたくさんチケットを購入するので、会場はどこも満員御礼。
そうして「年末の第九」は日本の風物詩、と同時に、楽団の収益にもつながる一大興行にもなっていったのです。

――現在は、こうした「一大興行」といった面は影を潜め、よりハイレベルな演奏が繰り広げられています。
前述のとおり、世界中でこれほど第九を演奏している国は日本しかありません。
世界一の経験を誇るオーケストラたちによる第九の演奏は、きっと我々にも世界一の感動を生んでくれるはず。
是非コンサートホールに足を運んで堪能してみてはいかがでしょうか?

坂入 健司郎(指揮者)

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