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【インタビュー】新国立劇場オペラ『ピーター・グライムズ』指揮 大野和士に聞く

2026.10.26

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大野和士_B

ブリテンの《ピーター・グライムズ》は、社会から疎外された漁師の物語である。では、孤独な主人公と、彼を取り巻く村の人々のどちらが狂っているのか? 指揮者の大野和士が語るこのオペラには、そんな問いが浮かび上がってくる。今年11~12 月に新国立劇場で上演されるのに先駆けて、このオペラの魅力をうかがった。

聞き手・構成:小室敬幸 〈音楽ライター〉


『ヴォツェック』から『ピーター・グライムズ』へ

――昨年11 月にはベルク『ヴォツェック』の新制作上演を指揮されました。貧困や、社会からの疎外というテーマは、ブリテンの《ピーター・グライムズ》にもつながります。ただしヴォツェックとグライムズは、社会的に弱い立場にある男性という共通点があっても、そのキャラクターはかなり違いますね。

大野 ピーター・グライムズは完全に社会ののけ者で、私たちの前にはいつも、周囲の社会に属さない孤独なひとりの人間として現れます。何ともいえない深い孤独を感じながら、少年に海との付き合い方を教える。でも、その少年が覚えていくのを見ながら、自分の満たされない気持ちを少年に向けるので、傷つけてしまう。膿んだ傷を絞り立てるような人付き合いしか知らないという大変際立った人物像です。
孤独の悲哀に苛まれているグライムズの純粋さや、純粋であるがゆえに壊れやすい心情にブリテンは感情移入するんですね。そこがベルクと共通しています。どちらのオペラもそうした感受性を持った作曲家が書いた、疎外の中で自分を捨てざるを得なかったひとりの人間のオペラではないかと私は思っています。


――ブリテンは、性的指向や兵役拒否などの観点からいえば、社会のなかでマイノリティ側でしたよね。にもかかわらず、同じマイノリティ側であるグライムズにとって救いのない結末をむかえる物語を選んだことに興味を惹かれます。

大野 そうですね。当時のブリテンは自身のパーソナリティからして、正面から向き合って社会と付き合える人ではなかったですし、それゆえ彼自身が味わわされたものがあるわけです。だから自分が存在できる小さな空間にじっと身を置き、その中でいろいろなことを熟考するのが彼の生きる道だった。周りからはいろいろな騒ぎが聞こえるけれど、自分を囲む枠から出ていく必然性を、最終的には感じていなかった。それが彼の防御策でもあり、自分から積極的に外の世界へ目を向けることはありませんでした。でもだからこそグライムズほどの純粋さ――しかもある意味では非常に独りよがりな純粋さが、作品としてあらわれました。信じられないような作品だと思います。
もう一方で面白いのは、圧倒的な疎外感を内面に刻み込まれた主人公とは別に、町へ行けば大勢の人たちが夜な夜な酒を飲んで騒いでいる。ところが、ひとりひとりを見てみると、この人たちの方がグライムズよりも遥かに狂っている――この対比なんです! 人間を観察し、音楽でそれを描く。ブリテンの才能と感受性は、信じられないほど素晴らしいと思いますね。オーケストラや合唱も含め、狂乱にひしめき合う町の人たちすべてを自分たちが背負っているんだ、というような思いで会場に来てくださると、とても嬉しいです。

舞台写真
Brescia and Amisano©Teatro alla Scala



グライムズを取り巻く人々

――グライムズを取り巻く人物では、誰に注目されますか?

大野 傷つきやすく孤独なグライムズの本質を理解できたエレン・オーフォードは、非常に人間的かつ、純粋で優しい女性です。ところがグライムズは、生まれ持った性格から、その女性さえそばに寄せることができなかった。ただ、彼女の純粋さには気づいていたはずです。主にエレンが歌ってグライムズに聴かせているようなところですが、二重唱の中にはかすかな人間同士の行き交いがある。2人の間には交じり合うものがあるんです。「2重唱」というより、いわば「1.5 重唱」です。それは涙を誘いますよね。

――ブリテン自身もlove duet と呼んだ、プロローグの終わりの部分ですね。

大野 もうひとり注目したいのは退役した船長であるバルストロードです。彼は理性的で、生業を通じて人生経験を積み、立派な生涯を送っている人間です。でも、海を相手に生きているということは、明日を知らない運命を背負ってきたということでもある。彼がグライムズをよく理解できたのは、人間が「失う動物」として生まれる運命にあることを知っていたからではないでしょうか。

――第3幕 第2場ではグライムズ、エレン、バルストロードの3人だけが舞台上に登場するのに三重唱にはならず、しかもバルストロードは歌うことなくグライムズに言葉で諭します。

大野 この3人の世界は、言葉を通さなくても理解し合える次元にあったように思います。でもエレンとグライムズは「1.5 の交わり」ですし、バルストロードが加わっても「2.5 の交わり」にしかならず、0.5 が欠けているんです。それをブリテンが、何とも
純粋な音楽で表現していますよね。

――夫を亡くした寡婦であり、教師であるエレンは、誰かを世話し、守り、育むことに自分の存在意義を見いだしており、ピーターに対しても恋人であると同時に母親的な役割を担おうとしています。

大野 エレンと結婚して子どものいる家庭を築きたいとグライムズが歌う場面がありますよね。もし生まれたとしたら、それはおそらく息子だろうと私は考えています。エレンはグライムズに寄せる思いを、現実には彼と共有できないと分かっている。だからこそ、自分で産んで、常にそばで見ていることのできる存在を求めるような気がするんです。グライムズが違う世界へ行ってしまっても、その子はまだ自分のそばにいる。第二のグライムズとしての子供ですね。

――実際にはふたりにそうした未来はやってきません。でもエレンは母親のような保護者でもあり、バルストロードには父親の代理のような面もある。少年を含めると擬似家族のようにも見えます......。

舞台写真
Brescia and Amisano©Teatro alla Scala



ブリテンの巧みな音楽構成

――登場する音楽も実に多彩です。冒頭のプロローグはオペラ・ブッファを思わせるところがあり、エレンのアリアにはプッチーニのような後期ロマン派的な抒情もあり、20 世紀的な暴力的な不協和音まで登場するのに、ひとつにまとまっているのが不思議です。

大野 おっしゃるとおりですね。最初のプロローグで描かれる法廷の場面は古典的なオペラの始まりのようで、非常に会話調です。事実だけをセッコに、乾いた感じでしゃべるところから始まる。でも、それがだんだん溶けていくんですね。そこへ間奏曲が入ることで、私たちの中でさらにイメージが拡がり、次の幕へ流れていく。最初の間奏曲〔《4つの海の間奏曲》における〈夜明け〉〕はサラサラサラ......と始まりますよね。そして第3幕で最後、皆がグライムズを見送る場面でも、サラサラサラ......と同じ音楽が聴こえてきます。つまり、これは水であり、海です。グライムズがそこから来て、私たちのもとに現れ、いろいろなドラマがあった。ところが、いつの間にかまた水の音しか聴こえなくなる。ブリテンの中ではそういう風に、さまざまな音楽がひとつのオペラとして結ばれていったのではないでしょうか。

――人間とは関係なくそこにあり続ける、海の永続性ですよね。それを音楽としてまとめていくのは大変そうです......。

大野 違う間奏曲が出てきて、次の場面へ移っていく。その継続のバランスを取ることは難しいですね。急なカーブを描くようなドラマが、たくさんありますから。同時に、新しい間奏曲で少し雰囲気が変わっても、次の場面へ来た時には前の間奏曲が流れ続けていたりします。
大事なことは、誰かと誰かを競い合わせようという意図でこのオペラが書かれたのではなく、そういう人が自然に存在して、こういうこともあり得たかもしれない......。そして時とともに自然の中へ流れていく。海を見ている私たちがその時間の流れとともに、あるドラマを体験する。それが、ブリテンのイメージの中で一番強かったのではないかと思っています。

――海は人間のドラマを包み込む存在であると。

大野 オペラ自体はロマンティックな部分を持ちながらも、最後にはそれまでの人々が体験したこともないような現代の戦争を経験し、もう人間ではいられない次元に達した人間たちが残る。そこには今を生き、現代の悲劇を知ってしまった人間の哀れさを伴う生命が描かれていると思います。
ところが、それが終わった途端、残り香もなく、非常にニュートラルなものの中へ流れていく。ブリテンは、そのニュートラルなものを自分の生きどころだと思ったのではないでしょうか。自分自身のはじまりは自分の意志ではないし、何なら亡くなることも自分の生命の終わりではない。そういうことを私たちにも同じ次元で感じてほしい......そういう作品として残してくれたのではないかと思います。

――ブリテンの人生観そのものが反映されているのでしょうね。過去のインタビューで大野さんはブリテンの魅力を「ヒューマニスト(人間主義者)」と語られていましたが......

大野 私がかつてブリテンに対して「ヒューマニスト」という言葉を使ったとすれば、今この作品に向き合うにあたって、もう少し違う捉え方をするようになりました。ヒューマニストであり続けることが難しい中、自分の空間にヒューマニズムを持ち、それをぎゅっと抱きしめているような存在なんです。



今の日本に響かせる、ベンジャミン・ブリテンの音楽

――日本ではブリテンのオペラを聴く機会はそれほど多くありませんが、ブリテンはベルクだけでなく、マーラーからも影響を受け、第1幕 第2場への間奏曲である〈嵐〉は、明らかに交響曲第1番《巨人》の第4楽章がモデルになっています。ドイツ・ロマン派との繋がりも深く、決して音楽史の周縁・傍流に位置する作曲家ではありませんよね。

大野 19 世紀から続くヨーロッパのオペラ作曲家の系譜の延長線上にいる、最も重要な作曲家のひとりといえます。そして協奏曲やチェロ交響曲、何といっても《戦争レクイエム》を考えれば、管弦楽作品の分野でもベートーヴェンから後の作曲家へ受け継がれていく系譜の延長線上には、必ずブリテンが入ってくる。しかも、ベルクをそのまま継いだわけでもなく、私たちにとって非常に分かりやすい響きで書かれている。だから本当は、もっと演奏され、人気が出てしかるべき作曲家でもあるんです。

――その豊かな音楽を、もっと日本でも聴きたいです。まずは今回の《ピーター・グライムズ》も楽しみにしています。

舞台写真

Brescia and Amisano©Teatro alla Scala

舞台写真

Brescia and Amisano©Teatro alla Scala

■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2669308

2026年11月23日(月・祝)14:00
2026年11月26日(木)14:00  
2026年11月29日(日)14:00
2026年12月2日(水)14:00
2026年12月5日(土)14:00

新国立劇場オペラパレス

 
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