大胆な“初手”だ。でもその衝撃が音楽ファンの間に広がっていくのは間違いなさそう。
来春から東京芸術劇場の音楽部門芸術監督に就任する山田和樹が、そのプロデュース企画第1弾として掲げたのは、作曲家・水野修孝の超巨大作《交響的変容》全曲一挙上演だ。11月、記者懇談会が開かれ、山田が意気込みを語った。
「演奏時間も編成もすべて規格外。時間も空間も、既存の枠組みやキャンバスを超えて突き抜けてしまう、未来型の作品です」
水野修孝(1934〜 )の《交響的変容》は、1992年に9,000人収容の幕張メッセ・イベントホールで全曲が初演された。演奏時間3時間超、初演時の演奏者数700人超と、まさに規格外。構想から完成まで四半世紀を要した、畢生の大作だ。
全体は以下の4つの部分からなる。
・第1部〈テュッティの変容〉(1978年完成)/演奏時間:24分
・第2部〈メロディーとハーモニーの変容〉(1979年完成)/演奏時間:20分
・第3部〈ビートリズムの変容〉(1983年完成)/演奏時間:27分
・第4部〈合唱とオーケストラの変容〉(1987年完成)/演奏時間:116分(!)
第1部〜第3部は完成するごとに個別に初演されたが、第4部は巨大すぎて演奏のめどが立たず、1989年に水野の住む千葉県に幕張メッセが開館するという好機を得たことで、完成から5年後、ようやく初演にこぎつけた。
その前代未聞のスケールの第4部は、初演時は約600人の合唱団が出演したが、作曲家の理想はさらにその上にあったようで、水野は「1,000人位が望ましい」と記している。しかもその大合唱団が、曲の途中で歌いながら移動し、客席を取り囲むように6群に分かれるという、水野の師・柴田南雄のシアターピース作品を思わせる指定もあるから、演奏可能な会場はなおさら限られる。
また、6群の合唱隊それぞれには指揮者も一人ずつ配置される。同時にオーケストラも3群に分かれるため、正指揮者の他に2人の指揮者も必要。さらに作曲家は、オーケストラのセクションごとに10人の補助指揮者を置くことも示唆している。つまり合計で指揮者19人!
もちろんオーケストラ編成も最大で、おおむね5管編成の木管に、ホルン10、トランペット8、トロンボーン9など増強された金管。打楽器奏者は20人以上が要求されている。その破格の規模ゆえに、92年の初演以降に演奏されたことはない。初演のライブCDも現在入手困難。“幻の大作”となっていたのだ。
「水野先生に、東京芸術劇場で演奏できるサイズ感にアレンジさせていただいてよろしいでしょうか、とおうかがいしたところ、即答で『すべておまかせします』と。やった!これでいける!と思いました。お許しがなければ、やはり原曲に手を加えることはできませんから。指揮者19人は無茶だと思うので、今回はなんとか9人でできないかと考えています」
“アレンジ”といっても、合唱や打楽器などの編成を縮小するほかは、ほぼオリジナルそのままの形での演奏になるという。
山田の脳内には、34年前の初演時には難しかったテクノロジーを活用するさまざまなアイディアも駆け巡っているようだ。
たとえば、第3部〈ビートリズムの変容〉の中間部には、和太鼓とティンパニがサシで対決する8分以上にもおよぶ二重奏セクションがある。山田は、それを劇場前の野外ステージで演奏する提案をした。
「外にいるお客さんには、そこだけでも楽しんでもらえる。そしてホールではそれを同時中継で結んでやり取りする、ハイブリッドみたいなことができたら面白いと思ったんです」
たしかに面白そう! しかし諸々の事情で、これはいったん廃案になったそう。残念。
また、客席6か所に配置される上述のコーラスを、「たとえば録音を使うというやり方もあるかなと、いま考えています」ともつぶやいていた。合唱団は舞台上に残したまま、声だけがスピーカーで客席を取り囲むようなイメージだろうか。
本番に向けて、きっと山田和樹ならではのいろんな妙案が、まだまだ湧いてくるのにちがいない。なにしろ「すべてまかせる」という作曲家のお墨付きもある。
現時点では、オーケストラ100人、合唱150人程度の編成を想定しているという。縮小したとはいえ十分に大編成のオケと合唱が生み出すのが“カオス”だ。
第4部の歌詞には水野の自作テキストやミサ通常文、シラーの『歓喜に寄せて』(第九)、法華経などさまざまな素材が縦横無尽に使われるいっぽう、音楽でもアジアの国々の民謡や、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》《英雄の生涯》《神々の黄昏》などの引用が聴かれる。なかでもマーラーの交響曲第8番の〈神秘の合唱〉が、かなり長く、複合和音を用いた複雑な和声付けで登場するのは印象的だ。それらが次々に交錯し、あるいは同時に演奏されて、会場は混沌に包まれる。“カオス”はこの作品の重要なキーワードだ(じっさい水野は、この第4部の最終章に当たる部分を、1984年に男声合唱曲《カオス》という別稿の形で、先触れ的に発表している)。
「ヨーロッパに住んでいると、世界が日に日に変わっていることを肌で感じます。水野先生の音楽は、ごちゃまぜにすることでハーモニーが見えてくる。カオスにすることで調和が見える。僕は個人的に、そこに平和的な光を見るんです。
今回、芸劇の企画の第一弾としてこの作品をぶち上げますという、お祭り的な思いもあるのですが、同時にどこかで、国境とか宗教とか民族とかを超えて、人々がひとつになれないのかという思いもあるんです。いろんな違いをぶつけ合うことで昇華させようとした水野先生の作品を通して、それができないか。2026年にこの《交響的変容》をやることの意味が、少なくとも僕の中では、とてつもなく大きなものになっています」
水野修孝は1934年2月生まれ。千葉大学法学部卒業後、東京藝術大学楽理科に入学したのは1958年。現代音楽シーンは前衛まっ盛りの時代だ。初期の水野も、図形譜などを用い、演奏者の自発性を引き出す集団即興のシステム構築に取り組んだ。即興演奏の研究のために60年代末から渡辺貞夫らに師事したが、やがてジャズそのものに向き合うようになり、ビッグバンド・ジャズ作品を継続的に発表。それは「ジャズ風」とか「ジャズを取り入れる」というレベルではなく、ジャズ専門誌のレコード賞を獲得するなど高い評価を受けるものだった。1973〜74年、ロックフェラー財団の招きで滞米。米国の多民族文化に影響を受けて帰国すると、ジャズやロック、クラシックの古典や前衛、東西の伝統音楽まで、多様な音楽ジャンルの要素を独自に融合させる、ポストモダン的な手法をとるようになった。《交響的変容》は、そんな彼の道程がすべて詰まった、作曲家・水野修孝の集大成のような作品だ。
《交響的変容》が、音楽史上どんな意味を持つ作品かと問われて山田は、「音楽史的な意味はほぼないんじゃないか」と答えた。もちろん価値がないという意味ではない。
「先生自身も再演することを考えていなかったわけです。花火的に、とりあえずドカンと打ち上げることに意味があるというようなこと。その“1回だけ”というところにこそ、すごい芸術性があると思うんですよ。ただ、それを歴史的に意味付けようという人ではないような気がする。じゃあこの作品の前後で何かが変わったのかというと、何も変わっていないかもしれない。だけど、先生が何十年間もかけて作曲された集大成の重みがここにある。それだけで意義があるような気が僕はしています」
(C)読響
水野修孝という存在自体が、誰と比べることもできない、音楽史上の特異点なのだろう。そんな水野を山田は、「一匹狼」「音楽界の岡本太郎」と評した。
「岡本太郎」から「爆発」を連想するのは山田より上の世代だろうか。若い人はぜひ検索してみてほしい。「芸術は爆発だ!」の名言が、CM動画などとともにヒットするはずだ。《交響的変容》は、まさに爆発。山田和樹が打ち上げる超弩級の花火を全身で浴びたい。
なお、通例なら「芸術監督就任記念!」という文字が華やかに躍るであろう公演だが、今回、その類の修飾フレーズはいっさいない。山田の感覚として、「それはちょっと違う」ということなのだそう。
その代わりというわけでもないが、「交響都市計画」というクールなシリーズ名が添えられた。
「スタッフのアイディア。音が響き合う。人が混じり合う。とてもいい。“Symphonic”ではなく“Harmonic City Project”。芸劇が初心に返って、ホールの存在価値や必要性を証明していく。これからのコンセプトを表すものとしてやっていきたいと思います」
取材・文:宮本明
山田和樹&東京芸術劇場
「交響都市計画」
水野修孝《交響的変容》
■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2563805
2026年5月10日(日) 12:00
東京芸術劇場コンサートホール
[出演]
山田和樹(指揮)
読売日本交響楽団
東京混声合唱団、栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭、碇山隆一郎)
林英哲(太鼓)
武藤厚志(ティンパニ/読売日本交響楽団)
水戸博之(総合監修)

