バリトンの黒田博と、その息子の黒田祐貴によるデュオ・リサイタルが、2026年1月30日(金)浜離宮朝日ホール(東京)、2月1日(日)神戸朝日ホール(兵庫)で開催される。
前回10月の浜離宮朝日ホールでの初共演の大好評を受けての第2弾。父・博は30年以上にわたって第一線で活躍を続ける日本を代表するバリトン。祐貴は日本音楽コンクールや東京音楽コンクールで上位入賞を果たし、この数年でめきめきと頭角を現してきた注目のライジングスターだ。
男声同士、しかも低声のバリトン同士のデュオ・リサイタルは珍しい。しかもそれが実の父子となればなおさらだ。
子・祐貴「舞台で一緒に歌うこと自体ありませんでした。以前に一度、ある高校の音楽科のコンサートで歌ったことがあっただけです」
父・博「その時は、ソプラノの高橋薫子さんをふたりのドン・ジョヴァンニが奪い合う、みたいなことをやりましたね(笑)」
祐貴「2022年の日生劇場の《セビリアの理髪師》は、ダブルキャストの別組だったのですが、父がバルトロ、僕がフィガロ。稽古で一度だけ、僕が父の組に入って歌ったことがありました」
博「みんな面白がって。演出家も、稽古そっちのけでずっと写真を撮ってましたよ」
そんなレアな父子バリトンの共演。前回のリサイタルは前半が童謡を含む日本歌曲、後半がオペラの二重唱とアリアという構成だったが、二枚目のふたりが魅せる抱腹絶倒の演出も客席を沸かせた。たとえば團伊玖磨の童謡〈やぎさんゆうびん〉。黒やぎさんと白やぎさんに分かれてふたりで歌ったが、相手が歌っている時に「メェー」と鳴く。
祐貴「何も打ち合わせなどしないのに、リハーサルでメェーとやったら、それで行こうということになってしまって。あげくの果てに、最後はふたりとも歌詞を歌わないで、メェーメェー言っているだけ(笑)」
博「黒田家の血筋なのか。ふたりともちょっとボケるんです。私のじいさんが変なボケをする人で。私が小学生のころ、ひとりでテレビを見ながらご飯を食べていると、祖父が隠居部屋から出てきて、テレビを遮るように立ちふさがって“ぷっ”(笑)。放屁したかと思うと振り返ってニヤッと笑って無言で去っていく。こっちが真面目に歌っている時にメェーとやるのは、そのあたりの血筋から出てきているのではないかなと思います」
©松尾淳一郎
プログラムの構成は今回もおおむね同様で、前半は日本歌曲と昭和の子供のうたを歌う。楽しさはもちろんだが、父・博は日本のうたにこめるさまざまな思いを語ってくれた。
博「大学院生の時、芸大の仲間と四重唱を組んで活動していたことがあったのですが、ある時、人口減少問題を協議する全国フォーラムに歌いに行きました。廃校になった過疎地域の小学校の講堂でのコンサート。働き盛りの大人は仕事があるので、お年寄りと幼い子供たちがたくさん集まってくれて。〈サッちゃん〉や〈おなかのへるうた〉を歌うと、子供たちが一緒に歌って喜んでくれるんです。
そしてコンサートの最後。〈ふるさと〉を歌ったら、後ろのほうに座っていた、腰に手ぬぐいをぶら下げたおじいちゃんがウウっと泣き出したんです。何か伝わるものがある。泣いて共感してくれる。僕はそれ以来ずっと〈ふるさと〉が歌えないんですけれども、こういうものを歌っていきたい!と、その時に痛感しました。
日本のうた、そして子供のうた。みんなが一緒に鼻歌で口ずさめるような昭和の歌を、あらためて見直して楽しめるようなコーナーになると思います」
そして後半はオペラ。父子ともに自身の主戦場と位置付けているフィールドだが、ふたりのショーマンシップは、ただ立派に歌って、拍手!素晴らしい!というだけの中身では許さないようだ。それだけに選曲は悩ましい。
祐貴「お互いの得意のレパートリーをドーンと歌っておしまい、というコンサートではありませんから」
博「とはいえ、じゃあバリトンふたりで、レパートリーも全部かさなってくるし、どうするんだ?というのが悩みどころです」
祐貴「正直、思いつく限りのものは全部、前回やってしまったんです(笑)。特に二重唱は、そもそも選択肢が限られているので、あと何が残っているか。前回、本当に苦肉の策で《ドン・ジョヴァンニ》の第2幕のドン・ジョヴァンニとレポレッロの二重唱をやりましたけど……」
博「コンサートであの二重唱を出すっていうのは、たぶん他の人はやらないよな」
祐貴「うん。でも視覚的に多少面白いことができるとか。やはり前回歌った《ドン・パスクワーレ》の二重唱なども、ふたりでばーっと早口をまくしたてているだけでもちょっと面白いとか。バリトンとバスの二重唱は《シモン・ボッカネグラ》だとか《清教徒》だとか、あるにはあるんですけど、バリトンとバスはやはり違うパートだし、シリアスな場面などは、オペラの中からそこだけを取り出してカッコいいかというと、なかなか……」
博「今度は2回目ですから、いろいろ考えて、よりバージョンアップした内容でお楽しみいただきたいと思います。いまクラシック音楽界は、ショパン・コンクールが注目を集めたりしてピアノ・ブーム。歌はちょっとしょぼくれてきているので、“歌はやっぱり楽しい!”と感じていただけるような舞台を目指しております」
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声楽界の父子鷹のふたり。幼い頃から、父が子を導き、子は父の背中を追いかけ続けてきた…のかと思いきや、事情はかなり違うようだ。
祐貴「いま思えば、歌にはいっさい興味がありませんでした。父のオペラ公演がある時は、母も観に行ってしまうので、親の目を気にせずにゲームをして遊んでいられる貴重な時間です。積極的に留守番を選んでいました。自分で歌うほうも、友だちとカラオケにも行ったりしないし、音楽の授業で合唱をやらない学校だったので、ほとんど歌ったことがなかったんです」
中高の吹奏楽部では部長を務め、トロンボーンで芸大を目指したが、現役では不合格。そのままトロンボーンで再挑戦するか、他の可能性を考えるかという時に、候補のひとつとしてたどり着いたのが声楽だった。
博「一度聴いてくれというので、じゃあ歌詞はでたらめでもいいから一曲聴かせてくれと、時間を与えて、〈カーロ・ミオ・ベン〉を練習させたんですね。それで実際に聴いてみたら……。ぱっと歌わせてこれだけ歌えるということは、ここからどこまででも行ける力は持っているんだなと感じました」
祐貴「へえ。初めて聞いた」
博「それをどこまで伸ばしていけるかは本人次第ですけれども。放っておいても、ある程度のところまで行っちゃうだろうなとは感じました。言ってみれば、エサさえ与えればいくらでも育つ。そういう可能性は感じたんですね。
ただ、歌を始めてから私がレッスンしたことは1回もないんですよ。彼のオペラを観に行くと、休憩中にLINEでダメ出しを送ったりはしますけど(笑)」
祐貴「僕のほうから、どうですか?とメッセージを送って尋ねたりもしています」
博「同じポーズが多い!第2幕以降、また腕を組んだら罰金!とかね(笑)。歌に関してのダメ出しは、もうあまりしないですね。私の学生の頃に比べて日本の声楽教育が飛躍的に発展しているということもあると思うのですが、私が30年かかって獲得したテクニックを、聞かれるままに教えると3日ぐらいで身につけてしまう」
祐貴「ずっと練習してたことなので、3日でできるようになったわけではないんですけどね。さっき言ったように、ほとんど歌ったことがなかったので、たぶん変なクセがついていないことは、よかったのかもしれません」
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それでもやはり実の父子。互いに声が似ていることは感じている。
博「前回のこのコンサートの録音を聴いていても、似てるな、あれ? ここはどっちが歌っていたんだっけ?とわからなくなるような箇所もあります。長身の祐貴の骨格は、たぶん母親の家系なんですね。だから、骨格で決まるのではない部分で、何かしら声が似てくる要素があるんですね」
祐貴「僕は、父と何度も共演された先輩方から、歌い回しとかいろんなところで父の歌い回しに似ていると言っていただくことがあります。僕の音楽的な趣味の根底はたぶん、父が好きで聴いていた交響曲とか管弦楽曲のCDでできているので、イメージする歌の方向がかぶっている部分はあるんだと思いますね。今でも趣味として考えたら、声楽よりもオーケストラを聴くほうが断然好きですから。実際に前回、父と一緒に歌ってみて、やっぱりそこはそう歌うよね、という共感はすごくありました」
DNAだけでなく、日常の音楽環境が育んだ黒田家の「一子相伝」。渋く、美しく、そして楽しく。バリトンのさまざまな魅力を楽しめるデュオ・リサイタルが待ち遠しい。
取材・文:宮本明
■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2562067
©松尾淳一郎
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