【坂入健司郎コラム】ショスタコーヴィチの交響曲第5番に迫る

2024.04.09

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ショスタコーヴィチ

こんにちは!指揮者の坂入健司郎です。
今日は、5/3(金・祝)東京文化会館大ホールにて開催される「N響 ゴールデン・クラシック 2024」で、指揮をするショスタコーヴィチの交響曲第5番について紐解いていきたいと思います。

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●スターリンの大粛清で直面した危機を乗り越える起死回生の交響曲

ショスタコーヴィチは、生命の危険にさらされていました。1934年、オペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》を発表し、ショスタコーヴィチはソヴィエト・オペラ史上類例のない大成功を収めましたが、あまりに刺激的な内容のためスターリンからは不興を買うことになります。
1934年といえば、ソヴィエト政府高官キーロフが暗殺され、スターリンによる「大粛清」が本格化した年。ショスタコーヴィチは大成功から粛清されてしまう生命の危険にさらされることとなったのです。
1936年、政府機関紙『プラウダ』に「音楽ならざる荒唐無稽」と題する匿名の論説が掲載され、オペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が批判されます。その翌週の『プラウダ』では、ショスタコーヴィチのバレエ《明るい小川》も批判されることになります。
1936年3月、国民的作家マキシム・ゴーリキーはショスタコーヴィチを擁護する手紙をスターリンに書き、国民的演出家・俳優のメイエルホリドはショスタコーヴィチ擁護の講演を行います。※ゴーリキーは3か月後に軟禁されたまま病死。メイエルホリドは1940年に残虐な拷問の末、処刑されることになります。

ショスタコーヴィチのパトロンだった名将トゥハチェフスキー元帥は、最後までショスタコーヴィチの擁護をしましたが、1937年6月にスパイ容疑で処刑されてしまいます。
ついに、ショスタコーヴィチにもトゥハチェフスキー元帥との関係を問われKGB(ソヴィエトの政治警察)に出頭、聴取を受けますが、3日後にその係のものが銃殺されたことにより、難を逃れることになります。

絶体絶命の状況に追い込まれたショスタコーヴィチは1937年に僅か約3ヶ月で、交響曲第5番を完成するのでした。絶体絶命の状況につき、政府の冷ややかな目もあって、初演者も当時無名の若手指揮者だったエフゲニー・ムラヴィンスキーが担当することとなったこの交響曲ですが、起死回生を図る入念な準備が施されていました。初演時のプログラムには「交響曲が全体として物語るのは勝利によって完結する長い精神的な闘いである」と簡潔に内容説明があり、古典的な単純明瞭な構成で、ソヴィエト革命20周年という記念すべき年に初演されたこともあって、大成功を収めることとなりました。その後、ソ連作家同盟議長アレクセイ・トルストイが「社会主義リアリズム(※)」のもっとも高尚な理想を示す好例として絶賛したことによって、ショスタコーヴィチは見事復権したのです。

※「社会主義リアリズム」とは?
・現実を、社会主義革命が発展しているという認識の下で、空想的ではなく現実的に、歴史的具体性をもって描くこと。
・芸術的描写は、労働者を社会主義精神に添うように思想的に改造し教育する課題に取り組まなければならない。



●裏のテーマは「ラブレター」・・・??
しかし、ショスタコーヴィチの交響曲第5番が名曲たる所以は、名誉回復のために迎合した作品という側面とは別のストーリーを持っているからに他なりません。ただでは転ばないところが天才作曲家ショスタコーヴィチ。

当時、ショスタコーヴィチは8歳年下の学生エレーナ・コンスタンチノフスカヤと恋仲にありました。ショスタコーヴィチはエレーナのことを「リャーリャ」と呼び、ショスタコーヴィチがエレーナに書いた手紙は全部で42通にものぼったということです。
しかし、エレーナは密告により逮捕され粛清の危険にさらされますが、すぐに釈放され、スペインへ赴くことになります。その時に知り合った(ショスタコーヴィチと同い年の)ドキュメンタリー映画監督ロマン・カルメンと結婚することになります。

この交響曲第5番には第1楽章や第4楽章にビゼーのオペラ「カルメン」の引用があります。第1楽章には「ハバネラ」の(ああ、恋、ああ、恋とは)という歌詞の一節、第4楽章では「ハバネラ」の(気をつけよ!)という歌詞の一節。恋仲の結婚相手がカルメンということもあり、明らかな体制賛美とは異なるメッセージが含まれているのです・・・!

交響曲第5番の第4楽章の終結部には弦楽器が執拗に「ラ」の音を掻き鳴らします。これは、「リャーリャ」の意味ではないか?と最近言われています。そう考えると、ティンパニが「レ(D=ドミトリー・ショスタコーヴィチのD)」、「ラ(リャーリャ)」と鳴らすのも不気味なほど合致します。終結部のクライマックスは、トランペットが「ド(C=つまりカルメンのC)」を高らかに鳴らしますが、ホルンは「レ(D=ドミトリー)」を鳴らし、不協和を作りますが、トランペットのメロディは「ラ(リャーリャ)」に戻り、執拗なホルンの「レ(D=ドミトリー)」音と協和になるのです。

全ては、諸説の中の一つでしかありませんが、多面的に紐解くことができる作品こそが名曲たる所以。絶体絶命の状況にも関わらず、恥ずかしいまでの私小説的ラブレターと読み解けてしまう作品を作るショスタコーヴィチの異様なまでの音楽的才能に、震えるほかありません。


今日は、『ショスタコーヴィチの交響曲第5番に迫る』というタイトルでご紹介しました。
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