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Grasshopper vol.28/LIVE REPORT公開!

2024.12.25

  • REPORT

2024129日(月)、東京・下北沢DaisyBarにて『Grasshopper vol.28』が開催された。『Grasshopper』は、チケットぴあ注目の次世代音楽シーンを担う若手アーティストを応援するライブハウス企画として2022年にスタート。「若手バンドがたくさんの人に知ってもらって勢いよく飛び立てるようなイベントにしたい」という思いから「Grasshopper=バッタ」と名付けられた本イベントは、見逃せないニューカマーを数多く招き、耳目を集めてきた。2024年最後の開催となった今回は、マママ・ダ・マートとkomsumeCloudy3組が出演。汗だくと形容するにふさわしい一夜の様子をお届けする。

■マママ・ダ・マート


Cloudy
の守屋浩次(Ba)も『マママ・ダ・マートさんは「シアター」という曲しかライブ以外で聴ける手段がなかったので単純にライブで他の曲が聴けるのが楽しみです』とインタビューで答えていたが、トップバッターを務めたマママ・ダ・マートの楽曲は、現状「シアター」しかアクセスすることができない。それは裏を返せば、4人がライブハウスにこだわって戦っていることの1つの証明であり、岡山発の彼らを初めて目撃するオーディエンスも多かっただろう。


どんな楽曲が待ち受けているのかという期待感が充満する中、口火を切ったのは穏やかで素朴な中藤(Vo,Gt)の歌声。粒立ちのハッキリとした近藤(Ba)のベースやハイフレットのギターチョーキングが3拍子のビート上で踊る「これでいい」をオープニングナンバーに据えると、<あんなに愛していたのに 今はもうない>と独り言つ一節が印象的な「猫」へ。もう部屋へ戻ってくることのない猫背の想い人への恋心を綴った同ナンバーは、五線譜の天井と摩擦を起こすがごとく張り上げるボーカルによって、悲しみが去った後に残る「何だったんだよ」と吐き捨てたくなる怒りを具現化する。「猫」が苛立ちの残り香を代弁してくれる一方で、畳みかけた「国道二号線」「見えなくなるまで手を振るね」は幸せだった日々を回顧する楽曲群であり、日常に空いた隙間を埋めてくれると形容するのがドンピシャだ。


「東京にきたからには名前と曲を覚えて帰ってもらえたら」「沢山の人に爪痕を残して帰ります」と、今宵にかける思いを剥き出しにしたショータイムのラストを飾ったのは「シアター」。フロアを見据え<ただ、ただ、アタシを 見ていて欲しいの><いつまでも会いに行くから 待っていて>と歌う中藤の様子に「シアター」は、自分たちが演者であることを自覚した上で、予想外のドラマを届けていくことを決意する1曲なのだと気づく。番狂わせなんてそうそう起きない毎日に、彼らは筋書き通りでも予定調和でもないエピソードを探しているのである。そして、多くのファンにとって邂逅となったこの日は、まさしくマママ・ダ・マートが志向するエポックメイキングな時間にほかならなかった。


■komsume

あゆみ(Gt,Vo)の「神戸からkomsume始めます!前から後ろまで、どうぞよろしく」の開幕宣言と共に「FAKE」で走り始めた2番手・komsumeのステージは、「格好いい曲やります」「世界で一番楽しい夜にしていこう」の煽りで、「百発百中」「Don’t Think!」へ猛進していく。ヘッドバンキング必至のラウドなブロックからスカパート、シンガロングまでが全部盛りのナンバーたちは、「ここでこうきたら気持ち良い」という欲求に全球ホームランで返される感覚があり、彼女たちが影響を受けたと語るメロコアやポップパンクを丁寧に昇華していることが伝わってくる。あゆみの泥臭く真っ直ぐなボーカルにキュートなエッセンスを加えるのんのん(Ba)のコーラスワークやジンちゃん(Dr)のぐっと反るタメも特徴的で、汗だくのフロアを生成していた。

ライブ中盤、あゆみは感謝を伝えたのち、「つい最近も東京に来たばかりだけど、知ってる顔の人もいて。会いにくるって意味があるんだな」と話す。「私にとっては懐かしい歌だけど、みんなにとっては新しい歌」とドロップされた「雨音」は、丁寧にアルペジオが紡がれるバラードだった。夜明けと雨が止む街の光射し込む光景を描きつつも、泣いたとしても明日を迎えても忘れられないモヤモヤとした悩みや、「寝れば忘れるよ」の言葉に収束されてしまうちっぽけな葛藤に対する不甲斐なさを吐露していく。そこから「今こうやって笑顔でいれてるのは、みんなのおかげ。青春の歌!」と「アルストロメリア」を連ねる流れは、痛みを知っているからこその強靭さに満ちていた。

必ずしも花に意味を持たせることは是ではないかもしれないが、アルストロメリアの花言葉は「未来への憧れ」。未来への希望ではなく憧れである点には彼女らの「必ずしも未来が明るいとは限らない」という価値観を読み取ることができる。しかし、komsumeは決して諦めているわけではない。ハッピーだけが待ち受けているわけではないことを分かっているから、3人はいつの日か訪れる幸福を掴み取ろうとしているのであり、「アルストロメリア」で〈僕らは彷徨っていたいよ〉と模索する日々を肯定しているのだ。〈幸せになんてなれなくていいから 本当のことを教えてって〉と叫ぶ「アネモネ」を急遽エンディングに追加し、最後の最後までドラマばかりではない平凡な日々を抱きしめた30分だった。


■Cloudy


「前にやってたバンドじゃスカスカのDaisyBarでしかやったことがなかったから、こんなにパンパンでやるのは初めて。今日はそういう特別な気持ちです」。小柴岳人(Vo,Gt)のこんな言葉で幕が上がった最終走者・Cloudyのライブは、夢と現実の狭間で足掻く彼らの今をダイレクトに伝えていた。空白を彩る守屋浩次(Ba)のメロディアスなベースサウンドや、ボーカルと同じ波形を描くギターのメロディーが印象的な「命を燃やしている」で幕を切り下ろし、喉を擦り減らすと言うべきボーカリゼーションがタイトルに相応しく刹那的に躍動すると、ライトは赤から青へ移り変わる。5日間連続でのライブだったというCloudyは、体力も精神も使い果たしながら進化を続けている真っ最中。全速力で駆け抜けている現在地を「命を燃やしている」で早々に提示したからこそ、夢を追いかける惨めな現実と対峙する「セプテンバーナイン」が相互作用的に今この瞬間の美しさを揺るぎないものにしていく。


「こんな景色をDaisyBarで見ることができて嬉しい。特別なハコだから、観てくれてありがとう。前のバンドメンバーと久しぶりに会った時の歌」と告げて披露された「生きてる限り」では、社会人として生きていくことを選んだ人生と音楽の夢を追い続ける道が2人の会話によって対照的に描かれる。しかし、地に足のついた生活を選ぶことと、夢へと手を伸ばすことのどちらが正解かを問うているわけではない。〈そもそも人生正解なんてもんがあってたまるかよ〉と叫んでいるように、彼らは葛藤を抱えながら一歩一歩進んでいくこと自体の尊さを刻みつけているのだ。それは、私小説なリリックでもって無限の選択肢が渡されることへの震える喜びと怖ろしさを紡ぐ「バンドマンと金髪女」も同じこと。本編最後を締めくくったナンバーが「さめない夢」だったという事実も、この日が彼らにとって夢と現実を見つめ直す契機だったことの証ではないか。そして、このタイミングで彼らが今までの歩みを振り返ったのは、冒頭で小柴が話していた通り、DaisyBarが大切な場所であるからに違いない。それではなぜ、4人は幸福ばかりではない生活で理想を叶えるために奔走し続けているのか。その答えは、小柴の伸びやかな弾き語りからアンコールでプレイされた「よどんだ生活の中で」にあった。<大切なことなど一つだけ 最後に残るのは一つだけ よどんだ生活の中でただ僕は 僕を歌いたいだけ>。いつか骨になる前に、この音楽の碑を建てるため。彼らは今日も歌い続けている。


こうして終止符が打たれた『Grasshopper vol.28』。マママ・ダ・マート、KomsumeCloudy3組も『Grasshopper』もまだまだ始まったばかり。またライブハウスで再会する日まで、それぞれの道は続いていく。


Text by 横堀つばさ
Photo by シンマチダ

 
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